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さてCSのガメラシリーズはその後も続いてて、「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」、「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」、「ガメラ対大悪獣ギロン」を続けて鑑賞。「ガメラ対ギャオス」が意外にきっちり作られた映画であることに驚く。序盤でガメラに助けられた小僧が遊園地の観覧車経由で本郷功次郎に救出されるシーンで、既にあとで意味を持ってくる、回転式客室を持つラウンジが同じ所にあることをちゃんと見せているんだよね。こういうところには好感を持ってしまいますな。どこかで書いた覚えがあるんだけど、高速道路ができれば村民の暮らしは自動的に良くなる、と人々が信じているあたりの単純無垢ぶりも時代を感じさせて悪くない。ただ、やっぱり映像的に貧乏なんだよなあ。そこが惜しい。
んで、「対バイラス」、「対ギロン」になるとその貧乏ぶりに輪がかかっていくあたりがちょっと哀しい物があるわね。「バイラス」は恥ずかしながら初見なんだけど、映画としては最低限の必要条件は満たされた映画、と思える反面、この、物理的なビンボ臭さは如何ともしがたくて哀しくなる。怪獣の大暴れシーンの大半が、「ガメラのこれまでを調査するのだー」のかけ声で、これまでのバンクシーンの流用で済まされちゃってるあたりはちょっと辛いよね。しかも新規に撮られたバイラスなりギロンなりのシーンにはテンション、ちゅーもんが決定的に欠落しちゃってるし。こういうのを見ると、傾いてるとはいえど、東宝特撮の体力ってのはバカにならんよなあと思ってしまう。
ついでに。「子供の味方」という甘ーいキャッチフレーズに、ガメラが回を重ねるごとに縛られていく様子も見て取れてそこも辛いですな。「対ギロン」に至っては、クソ生意気なガキどものせいでガメラは宇宙に呼び出され、ガキどもを助けなくちゃいけなくなり、その過程でギロンの手裏剣が刺さって苦しんでるのに当のガキからは「ガメラがゴーゴー踊ってるよ」とか言われ、そんな勝手なガキどもが今度はピンチに陥って、「どうしたガメラー」「助けてくれガメラー」といわれて傷も癒えないのにまたギロンと戦う羽目になる、って、このクソガキどもを最初にぶっ殺しとけばそれで問題なしやんけ、などと思ってしまいますわ。しかもこのガキども、ガメラのおかげで無事地球に帰ってきて開口一番、「宇宙になんか興味を持たず、地球を良くしていこうと思います」などとぬかしやがる。おまいら、夢はどこに行ったーと、私思わずテレビに向かって叫んでしまったですよ。
なんか二重三重の縛りのおかげで、爽快感がことごとく削がれる結果になっちゃったシリーズだなあ、と改めて思いましたわ。
それはともかく。今回初めて私、ギロン自体は「あ、可愛いじゃんこいつ」と思えましたよ、うん。なんとなくギロねむさんの境地に一歩近づけたかも、な気分。
例の「浴玩」シリーズ、第二弾のラインナップが発表されたようで、メジャーどころはサブマリン707(一世)、伊号潜水艦から何隻か、シーウルフ級二種(『沈黙の艦隊』版じゃなく、実艦ね)って事になるみたい。このシリーズ、私前にも書きましたけど食玩史上空前の完成度を持ったシリーズだなあと思ってまして、特に素材の(『堅さ』を含めた)質感とモールドの繊細さにおいて他の追随を許さないものだと感じておる訳なんですが、それだけにアイテム選定にちょっと辛いところがあるのが損してるよなあという感じで。
ワークのムラさんもおっしゃってたんだけど、リアルワールドの潜水艦も良いけど、たとえばこのクオリティで「小沢さとるコレクション」なんてのをやってくれたら、半日床をごろごろとのたうち回るファンはいくらでもいそうな気がするんだけどね(ワシらの世代限定かも知れんけど)。今、私は食玩系になるべく手を出さないようにしているんですけど、これやられたら多分コンプリするまで金突っ込みそうな気がするよ。とりあえずマラコット号、コーバック号、ムスカ、は何隻あってもおっけーなんだけどなあ。
「ジパング」、「グレネーダー」、「砂ぼうず」、「魔法戦隊マジレンジャー」、「仮面ライダー響鬼」、「ふたりはプリキュアikry」、順番入れ替わったけど「ウルトラマンネクサス」、「種デス」。
で、ようやく正気に返った調子を掴んだ感じの「ネクサス」(#20:「追撃」)。みんなから忌み嫌われてるけれど、メモリーポリスのみんなの活躍で、やる気を取り戻す若者たちもいるんだね。ありがとう沙耶リーダー…というお話ではもちろんなくて。まだまだダーク路線に足突っ込んでいるとは思うけど、ちゃんとお話で引っ張れるようになってきてるなあと思う。変身するなりへなへなと倒れ込んじゃうウルトラマンってのは、ありなのかなあとも思うけど。
まあ暗黒ぶりならデス様の方が最近は遠慮会釈ないけど。その割に話の底が浅いのがなんだかなあという感じ。シン君の性格もずいぶん変わったような気がするし。とりあえずザフトの陸上戦艦の名前が「デズモンド」と「バグリイ」だったのでちょっと笑っちゃった、ということで。もちろん「高い砦」のあの格調なんざ望むべくもないんだが。
日曜日の分は、ええと、「マジレンジャー」は一回目にも感じた「ゴレンジャー」臭さがさらに加速しているかなあという感じ。ただ、「ゴレンジャー」のあの愛すべきあっけらかんとしたところ、は残念ながら上手く今風に置き換えられてはいないみたいだね。そこらでこの先、このシリーズを楽しく見ていけるか、背筋をぞわぞわさせつつ付き合わされれるのかが分かれるのかも。オレ? オレは今のところはまだ、後者かなあという感じです。「響鬼」は、んまあこれはこれで面白いんじゃないですか。
福井晴敏 著
カバーデザイン 樋口真嗣
デジタルドローイング 江場佐知子
講談社文庫
ISBN4-06-274966-1 \467(税別)
ISBN4-06-274971-8 \695(税別)
ISBN4-06-275002-3 \695(税別)
ISBN4-06-275003-1 \695(税別)
第二次大戦勃発後から、海兵たちに伝播した伝説、「シー・ゴースト」。あり得ないほどの狡猾さと精密さで獲物に忍び寄り、一撃のもとに狙った相手を屠ってはふたたび海の奥底に消えてしまうという一隻の潜水艦。だがそれは伝説などではなかった。ナチス・ドイツによって無定見に繰り広げられた人体実験の偶然の産物として生まれ出た一人の超常能力を(望むことなく)持たされた少女と、彼女のその能力を最大限に引き出すべくデザインされた"システム"を組み込んだ一隻の潜水艦。それは今、ついに降伏したドイツ第三帝国を見捨て、今なお戦うことをやめない日本へと接近しつつある。自らの生存を賭けるもの、新たなる世界秩序の第一歩にそのシステムを今一度使おうと目論むもの、そしてそのシステムを、何かが狂ってしまった祖国に、一旦死亡宣告を与え、しかるのちの民族の再生の発火点にしようと目論むもの、それら様々な者たちの思いの交差する海域へ…
公開間近の「ローレライ」の原作は、文庫本にして4分冊の大著。やや大きめの活字が使われていることを考慮に入れても、すさまじいばかりのボリュームであることにかわりはない。で、このすさまじいボリュームの小説に、途中で本を措くことをもったいない、と思わせるだけの読み応えに満ちた密度とヒキ、そして随所で用意されている"燃える所"と"泣き所"の匙加減のうまさは超絶的。ページターナーとしての福井晴敏の実力は十二分に堪能できる。敢えて「戦争」をそのテーマに採り、その中で徹底的にエンタティンメント要素を燃え上がらせ、しかもあの戦争を経験し、そして只今現在ここにある我々に、戦争ってなんだったんだろう、日本人ってなんだったんだろう、それから、日本人ってどうあるべきなんだろう、という真摯な問いかけを叩きつけてくる、その態度にも好感を持つ。持つんだが……。
描きすぎだ。
まずい"描きすぎ"と、描くべきではなかった"描きすぎ"がこの本にはあると思う。まずい描きすぎ、とは、この物語に登場する人物たちの個々の掘り下げのパート。少なくはない登場人物が、それぞれの(お話の中での)持ち場で、精一杯生きていく、そこは感動的なのだが、それらの人々が伊507こと「シー・ゴースト」に集まってくるまでのいわゆる回想シーンが、常に第三者から見た物語として綴られているのだな。主人公となる少年、征人の物語も、運命の美少女、パウラも、征人が少年から大人になる、その大事な瞬間に彼の背中を時には支え、時には乱暴にこづいてやる掌砲長、田口(この物語の中でもっとも魅力的な人物は間違いなく彼だろう)にしても、すべてが、物語はおのおの異なるものであるとはいえ、それが全く同じフォーマットで語られる。それはお話に冗長感しか付加しないと思うんだがな。時には第三者の口を、時には親しい者の口を借りて、そしてまた時には自らが苦しみつつもすべてをぶちまける、そういう小説としての小技をこの作家はなぜか忘れてしまっているような気がする。技巧なんて時には邪魔なものでしかないときもある、というのも判るけど、ここではその技巧は絶対に必要だったのではないだろうか。なぜって、これは何よりもまず、エンターティンメントなのだから(この件については後でもう一度蒸し返します)。
もう一点の、描くべきでなかった描きすぎ、はもう、読んだ方なら判っていただけるのではないだろうか。私はこのお話、文庫版の4巻の396ページで終ってしまっていい話だと思う。というか、(いきなり蒸し返すが)それまでの冗長な部分を切って捨てれば、4巻の396ページ、を文庫版3巻のラストあたりまで持ってくることもできたのではないか、とも思う。ネタバレにならないように書くのが難しいので、はじめにネタバレになったらごめん、と謝っておきますが、特に三巻以降、この物語には明らかに、物語の直接的な当事者とは別の、とっかかり易いキャラクターを利用した作者のメッセージが色濃く込められてゆく。物語に作者のメッセージが込められていくこと自体には文句はないけれど、物語を放ったらかして、作者が、作者の気持ちを吐露する場を自分の小説の中に作ってしまうのは問題だと思う。で、残念ながら福井晴敏はこの作品でそれをやってしまっている。で、それは逆効果でしかないのだよ。言いたいことを言い切れなかったかも知れない、という不安は、多分お話を書く人ならば誰もが持つ物なのだろうと思う。思うけど、そこで最後の最後は読者に「最後はあなたが察してくれ」という形でお話を閉じることができる人こそ、私は真の作家なのだと思う。お話のテーマが「戦争」であったり「日本人」であったりするが故に、作者はどうしようもない"言い足りなかった"感にさいなまれてしまったのかも知れないが、それでも最後の最後は、読者に任せるべきではなかったか、と思うのだな。ここに福井晴敏という人の"若さ"を感じてしまう。若者よ、それを言いたくてしかたがない気持ちはわかるのだ、でもそれは、言ってしまったら値打ちががくんと下がってしまう類の言説なのだよ、と。
戦争はいけない、的な比較的イノセントな物言いから先の大戦で日本人はどうだったのか、それを踏まえてこの先の日本人はどうあるべきなのか、というやや小難しい論説まで、人はみなそれぞれに、それぞれなりの気持ちを持っているはずなのだ。それをわざわざエンターティンメントの中で懇切丁寧に再描画されなければ、そのことに思いをいたす人間が皆無になっている、などと私は思わないのですよ。例えば本作品、前にあげた4巻の396ページ、に至る流れというのは、私にはマクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」の、涙無しには読み進めることのできないラストと被る(本作品にはそれ以外にも、結構"被る"ネタは多いんだけど)。だけど、マクリーンはユリシーズ号の最後を書いた後、だらだらとページを費やすようなことはなかったぞ、と。我々はユリシーズ号のラストを読んだとき、その後に数ページしかなかったとしても、「終戦のローレライ」でその(件の作品で、ユリシーズの最後に匹敵するシーンがあった)後、だらだらと書きつづられる100ページほどの後日譚から得ることのできた以上の感慨を、ほんのわずかの描写から感じ取れたはずなのだ。そのくらいのことはヘタレな我々でもできるはずなのだよね。それが斟酌できないくらい、作家の方に、何か思い詰めるような事情があったということなのだろうか。
この辺に福井晴敏の若さ、みたいなのを感じてしまうのだな。それはなんというか、好ましい青さではある、けど本読みとしては「勘弁してくれよ」と思ってしまうような、そんな感じ。なのででたらめに読み応えのあるこの作品、すばらしいと思うし、まあ映画の方も楽しみではあるんですが、小説の出来としては、私は「亡国のイージス」より下、の評価を付けざるを得ないです。面白いんだけどね。
あーあとこれは蛇足ですが本作にいまいち惚れ込めない理由に追加。
恋愛成分がたりないんだな、これ。そこもやや不満。これだけのボリュームを持ってして、征人とパウラの恋物語がそんな程度じゃいかんだろー、と。これはまあジュヴナイル好きなおじさんの繰り言ってことで無視してもらって良いんですけど。
(★★★☆)
フジテレビONE TWO NEXT2,009年4月1日開局(フジテレビ公式)。CSのフジテレビ721、739、CSHDがそのような名前に変わって値段も改定されるぞ、と。より詳しい情報はハイビジョン化-フジテレビCSチャンネル改編にともなうF1視聴情報まとめ(F1memo)が分りやすいか。自分とこにもハガキが来てたはずなんだが、ちゃんと見ないで捨てちゃった。結構大きな改編になるんだね。
これまで721でオンタイムで見れていたF1は、今後はNEXTでやることになり、TWO(旧721)では録画の放映になる、と。NEXTはHDとSDがあり、SDの方は従来のチューナーで視聴可能、らしい。で、ぼんやりしてるとこれまでの721/739視聴者は、自動的にONE TWO NEXT(SD)に契約が更新される、と。
F1以外の放送なんて見やしないので、わたしゃNEXT(SD)さえ見れたらそれで良いんだけど、これはどうも通常の「よくばり」「えらべる」には含まれず、それらのパックとは別料金になる、模様。
かてて加えてカミさん愛用の「歌舞伎チャンネル」が約5割増しの価格改定させてくれ、っつー連絡もらっちゃった時点で、いろんなもんがめんどくせえなあと思えて来ちゃった。そもそもたいしてテレビなんて見ないんだし、ここらでCSともおさらばしちゃっても良いのかなあ、と。で、2011年に地上波デジタルが導入された時点でウチのテレビには何も映らなくなるわけだから、そこでテレビともおさらばしちゃえばかなり幸福になれるんじゃないかと。
オレ、そろそろ夫婦割が効くトシだし、幸い未読の本も売るほどある(売れよ)し、ここらでテレビとおさらばしても良いんじゃないかって気になって来ちゃったな。金銭的な多寡は実はそんなに大きなものじゃないんだけど、気分的に妙に無駄を強いられてきてるような気がしてしまうのがちょっと不快なんだよね。
ちょっと前に頭を悩ませた、マルチカラムレイアウトの高さを揃える方法、こういうのがあった。Ultimate multi-column liquid layouts (em and pixel widths)(Art and Design by Matthew James Taylor)。
まだキモの部分の理屈を完全に理解してなかったりするんだけど、それぞれのカラムを二重構造にして強引に高さを揃えるような感じ、かな。自分のエントリでもちょっと書いた方法を、もう少しCSS的に洗練させた、ともいえるかな。ちょっとトリッキーな感じもするが、良く思いつくもんだなあと感心した。さっそく使わせてもらいましたが、上手く表示できました。4つぐらいしかナビゲーションがない左メニューと、2000ピクセル超の右コンテンツで、がっつり下が揃うとちょっと嬉しいね。
石黒達昌 著
カバーイラスト 鈴木康士
カバーデザイン 岩郷重力 + Y.S
ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
ISBN978-4-15-208735-5 \1600(税別)
現役のお医者様にして作家である著者の短編集。表題作、芥川賞の候補作となった「目をとじるまでの短かい間」など6編を収録。
軽石庵さんからJコレ借りて読んでみようシリーズ第6弾。表題作、「冬至草」がなんか読んだ憶えがあるなあと思ったら、ゼロ年代SFベスト集成<F>に収録されていた。しかも自分、この作品を本書の一等賞に挙げておるな。なかなかやるなオレ(^^;)。ってことで「アマチャ・ズルチャ」ではあきらめた(とても個別に感想を書く自信がなかった)んだけど、こっちはきっと書けるはずだ。がんばるぞ。
不治の病に冒された娘を助けるために、医学の専門知識など何もない父親が苦闘する物語。専門家故の視野狭窄、素人故の発想の柔軟さがぶつかった末に選択を迫られるのは専門家によるより広義な救済なのか、素人の頑張りによる「個」の救済なのか、そこでたどり着いた結末とは…。苦みの残る結末なのだが、苦くて何が悪い、とも言えるような気はするんだよな。
前述したとおりこちらは既読。改めて読んだけどやはり良いね。舞台が北海道と言うとこもあり、荒涼とした静謐感がたいそう魅力的。
天体望遠鏡で星空を眺めていたら、突然自分の身体に溢れんばかりの月光が流れ込んできたような気がして、その後…というファンタシィ。イシグロ作品の特徴の一つではないかと思うのだが、比較的こじんまりとまとまったお話の中に、結構曰くありげな登場人物が以外に多数登場してくるってところがあると思うのだけれど、本作もそのあたりの巧さが光る。「冬至草」級に気に入りました。
著者の専門分野の知識が遺憾なく発揮されたような、ちょっとブラック・ユーモア風味の医学SFといえるだろうか。専門職であること、ってところへの「それで良かったんだっけ?」感の想起がテーマ、みたいな?
芥川賞候補作品、ということで非SFなんだけど、SF短編集に入ったからにはこれもSF(w。そう言う意味ではまあ、ものすごく白い田中啓文、といえないこともないかな(^^;。
「デ・ムーア事件」と対をなすようなお話で、こちらは黒い方がやや増幅されているかな。これも「専門家って」系のお話っすね。
と言うような感じで。おそらく医学の分野でもかなり最前線に近いところで活動されている著者が、医学という特殊技能における「専門家」という一種のノーメンクラツーラに対しての「そのスタンスで良いのかい?」という控えめな異議申し立てと、「医学」が取り扱うヒトの心と身体に関する、「こうだろうと思うけど実はそれはちょっと違うのかも知れない」的な斬り込みの按配が、この人のお話の魅力になっているのかな、と言う気はする。だから劇的にはならない。でもしみじみと不安になってしまう、ような感じだね。
もう一つ、これは著者が意図していることなのかどうか分らないのだけど、一種の石黒ワールドのお約束、みたいなものもあるような気がしてそこもちょっと興味深くって。それはちょっと緩めのスター・システムなんだけど、お話をまたいで「おや、あなたは」と言いたくなるキャラクタがちょいちょい登場していて、そこもちょっと面白い。お話のテーマ的にそう言うキャラが必要だからそんなキャラを配置した、ってだけのことなのかも知れないんだけど、医療関係に強い弁護士さんだったり、天体望遠鏡持ち出す若造だったりするんだけど、特に共通性はないにも関わらず、あちらで出ていたあの人がこっちにも顔出してるなあ感は結構あって、そこもなんだか面白かった。意図していないのかも知れないけれど、それはそれで小説の世界を繋いでいる感じだなあ、と言う気がしてね。
★★★★
やっぱなあ、厄介な相手ってことだとTRちゃん一択だけど、ストレス溜まる相手ってことだと実はDG君の方が上かもわからんな。ブチ切れ対応はしたくないので頭冷やすんだけど、冷えるのに異様に時間がかかるんだぜ。
多分DG君、こっちが出したメールの内容を全く吟味せずに、とにかく自分に与えられたデザインファイルを遵守させることだけを実行しようとしてるんだろうね。
つまりはただのメッセンジャーボーイで、しかもその上にはそんな小僧にそれなりの知恵を付けてやろうと思う人がいないって状況で走り回っているってことなんだろうな。そう考えるとDG君にも同情……
するわけはないけどな。
日曜から日曜まで。「幼女戦記」、かつての任地に戻ったターニャを待っていたのは謎の彼女存在X。んーつまりこの世界の戦争というのは、一人の神様の承認欲求が発端と言うことなのかい? それはまた…。んでここに来て総集編とは。
「ガヴリール…」は今回もサターニャちゃんが不憫で面白い(w。「デビルパイソン」なる拳銃、デザインはどう見てもS&W M29あたりっぽいね(どうでもいい)。
「ACCA」、「小林さん」、「亜人ちゃん」、面白かったけど良く覚えてない(^^;。「鬼平」、お頭が老盗賊と組んで盗っ人に挑戦する話。
「キュウレンジャー」、ゴールドとシルバーが仲間になる話。スカしたゴールドと綾波タイプ(ただし男)のシルバー、ってのは結構新鮮かも。しかしこれ、数が多い分キャラそれぞれの描き込みが大変そうだなあ。「エグゼイド」は何となくエム君がゲーム病をはね返す話。ヒイロさんいい人。
「オルフェンズ」は最終決戦目前の鉄華団。いろいろ、不穏。
「直虎」はイケメン鶴亀の亀裂が拡がる話。鶴役の高橋一生さんって、「シン・ゴジラ」で尾頭さんの隣にいたオタク君だったのね。今ごろ気がついた(^^;。
てな感じの一週間でございましたよ。
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□ ずんずん [ガメラシリーズはやはり子供時代(小学生以下)に見ないと、その魅力は永遠に理解できないと思んですよ。実際に幼稚園児の甥..]
□ ROVER [なるほどです。してみると私はヒネたガキだったのかなあ。▼確か「バルゴン」見たのは小学校入るか入らないか、ぐらいの頃だ..]
□ ずんずん [うーむ。好みの問題になっちゃうと思うんですけど、少なくとも自分の目にはバイラス以降のガメラには何ひとつ問題など無い作..]
□ はうはう河馬 [そう言えば、ROVERさんと、その昔、環状線に乗って、ゼネラルプロダクツ(でしたっけ?)へ行って、ガメラのアクセサリ..]
□ ROVER [つーか君、「奥さん、宇宙米屋です」とか言うバッジをうれしそうに買ってなかったっけ?>はうはう]