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昨日の午後に何件かご注文をいただいて、そいつの準備を済ませてはあやれやれと一眠りしたら、翌朝にまたご注文が入っていて大発掘大会に。なんだかんだで終日古本発掘&梱包大会になってしまった。結局夕方までかかってしまったけど、なんとか発送出来てよかったよかった。
スタッフ
監督:ロン・ハワード
脚本:ピーター・モーガン
撮影:アンソニー・ドッド・マントル
音楽:ハンス・ジマー
出演
クリス・ヘムズワース
ダニエル・ブリュール
オリヴィア・ワイルド/アレクサンドラ・マリア・ララ
ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ/クリスチャン・マッケイ
公式サイト:http://rush.gaga.ne.jp/
1976年のF1はふたりのドライバーを中心に動いていた。マクラーレンのジェイムズ・ハントとフェラーリのニキ・ラウダ。天才肌ゆえにトラブルも多いハントに対し、緻密なレースコントロールを身上とするラウダ。シーズン序盤は緻密なラウダが順調にポイントを伸ばすのに対し、新マシン、M23を擁するマクラーレンは、マシンのトラブルも続き、なかなか調子に乗れない。そして迎えたドイツGP、危険なウェットレースの回避を力説するラウダに対し、あくまで勝負を望むハント。ドライバーミーティングの結論はハント支持が多数を占める。そして迎えた運命の決勝レース…
F1の歴史の中でも最も劇的なシーズンであり、日本人にとっては初めて自国でF1マシンが走るところを見る事になった1976年。個人的にも生まれて初めてテレビではあったけれどもF1というモノを見た年でもあったわけで、なんだな、それだけでテンションだだ上がりな状態で見てしまった。ニュルブルの事故からわずか50日足らずでサーキットに帰ってきたラウダを「フェラーリの息子」とたたえたエンツォが、富士の一件で掌を返すような対応をするようになり、一気に関係性が冷え切ってしまったとか、この年は完全にモブだったロータスが、翌年グラウンド・エフェクト・カーをひっさげてF1界に旋風を巻き起こすとか、もういらんことまでいろいろ連想されてしまって、何とも言えんざわざわした気分で映画を見る事になってしまった。そういう意味では完全にゲタ履いた評になってしまいます。その上で言うけど、素晴らしかった。
ハントを演じたクリス・ヘムズワース、ラウダ役のダニエル・ブリュール、ともにそっくりというわけではないんだが、どことなく雰囲気のようなものがあって違和感が全くないのがかなりすごいと思った。多分これ、オレが「赤いペガサス」好きすぎて、リアルなハントやラウダとこの映画の絵の間に、村上もとかさんが描いたハント、ラウダのイメージがクッション役で挟まってくれるものだから、多少の違いみたいなものは誤差の範囲だよね、で済ませてしまえるようになってしまったんだろうな。特に映画の中で、この人は誰です、というのを説明するような事は省かれているんだけど、それでも何人かは、「あ、あの顔は」と思わせる程度に雰囲気を合わせてきててくれるあたりは心憎い配慮。あ、ケン・ティレルっぽい人がいる、あっちはジャッキー・イクスかな、って事はあれはパトリック・タンベイ? みたいな妙な芋蔓効果が楽しすぎる。雨のレースと来たらブランビラだろ、ってとこまでちゃんと押さえてくれてるんだよなあ(^^;
マシンの方もしっかり70年代、グラウンド・エフェクト・カー登場直前のマシンたちを堪能することができて大満足。そういえばハーベイ先生はヘスケスがキャリアのスタートだったんだなあ、とか、とにかくニヤニヤしてしまうネタが満載で嬉しくなってしまったよ。そうかー、ブラバムはこの時点でツインポッドになってたんかー、とか、ああ、JPS.MkⅢはこの翌年かあ、とかね。
ニヤニヤネタって事だと、ワキ方面でもそれはあって、ハント夫人のスージーがマシンを失って腐るハントに見切りを付けて転がり込む相手はリチャード・バートン。したら何か、ハントがそこで腐ってなかったらキャリー・フィッシャーの人生もまったく違ったものになってたかもわからんのか。レイア姫は別の人だったりしたのか、とか、後に夫人になるマルレーヌ(演じるアレクサンドラ・マリア・ララは「ヒトラー 最後の12日間」でヒトラーの秘書、トラウドゥルを演じていた人。いまやニコ動の「総統閣下シリーズ」でちょいちょい目にする羽目になっちゃうのがなんだか申し訳ない)とラウダが初めて出会うのはクルト・ユルゲンスのパーティ、なんてのもへえ、と。
そんなこんなで、作り手が緻密に積み上げてきたディティールがいちいち楽しくて、それだけでもお腹いっぱいになれる映画。この楽しさって言うのは、F1そのものに対しては初心者ではあったけれど、単品とは言え初めてテレビでそれを見る事ができたという経験と、その後連載がスタートした村上もとか氏のマンガ、「赤いペガサス」から得たF1シーズンを戦うという事のドラマティックさを追体験している、という事なんだろうと思う。だからつい、細かいところを思い出しては、やいのやいのと語りたくなってしまうんだよね。
そんなわけで素晴らしく楽しんだのだけど、映画としては一つ大きな欠点があるように思う。それは、ハントとラウダ、この二人がなぜにそこまで、一番になりたいのか、というモチベーションが奈辺にあるのか、というところをわりにぞんざいに、というかほとんど省いてしまって、映画が始まった時点で、「この二人は一番になりたいんですっ!」で済ませてしまっていること。一応それらしいセリフはあるんだけど、それ以上に「こういう事があってね」的な説明はなされていないので、なぜこの二人がF1チャンプを目指すのか、それが二人にとってどんな価値があるのか、そしてその栄冠はなぜ、ハントにとっては一度取ればいいものなのか、ってあたりが腑に落ちないまま映画は終わってしまうのだね。
まあハント側はそれでも、享楽的なライフスタイルの延長線上に「最速」への渇望がある、というところは飲み込めなくもないんだけど、ラウダのモチベーションの出発点がいまいち薄いかなあ、と。ニュルブルのクラッシュ以降のリハビリ(ものっそ、痛いです)に向かう覚悟の推進力がハントの快進撃、ってあたりの演出は上手いと思ったんですが。このあたりもう一声、二人がトップを目指すのはなぜなのか、ってところに納得出来る説明が一つ、欲しかったなあという気がする。
それでもこいつは見応え満点。それは自分のポジションがそうならざるを得ないところにいるから、なのかも知れないんだけど、そうじゃない人でも、タイプは違っても限界に挑戦せずにはいられない男達の物語として普遍的な魅力のある作品、と言えるんじゃないだろうか。余裕があったら「赤いペガサス」読んでから映画を見にいくといろいろ楽しいかも知れません。ケン、ベアード、ぺぺをラウダ、レガツォーニ、ハントに重ねてみる面白さ、みたいなのがあるかも知れませんよ(w。
(★★★★)
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ラウダのモチベーションについて思ったことを一つ。未来の夫人と出会うきっかけになったパーティへ向かう車中で「レースはビジネスにすぎない、他に稼ぐ方法があるならそっちを選ぶ」 と言ってレガおじさんを怒らせた、あの言葉が伏線なのかなと思いました。そんなことを言う男が、なぜあの事故からの復帰を志したのか。仰る通り特に言及はないのですが、「なんでそこまで」と疑問を抱かされることこそが語り口の目的なのかな、なんて。
確かに映画がすべてを説明する必要はありませんよね。自分なりに思い返して見るに、ラウダの出発点は親の敷いたレールに対する反発だったのかなあと言う気はしています。で、親が手がけるビジネスとはまったく違う方面での成功者たらんとした、みたいな。<br>それがハントという、それまでに見たことのない障壁とぶち当たったことで最初のそれとは別の方面に向いたモチベーションに点火したのかな、と。で、それはハントの側にとっても同じだった、なんて感じなのでしょうかね。