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あまりうまいタイトルじゃないな。
「きっこの日記」の作者は誰だ? ネタを皮切りにいろんな事が起きてるみたいだけど、その動きの一方の当事者であるライター、松永英明さんによる、はてなでのオウム時代のカミングアウトを読んだyomoyomoさんと平林さんが、趣は少々異なるけれども浅からぬ感慨を覚えていた。って文章を読んだあとに続いて、医学都市伝説さんでも松永氏がらみの記事にあたったりすると、なんというか、人間の中には、誰かが何かを思った時に、それを他の人も感じて、同じ方向に思考なり記憶なりをたぐっていく傾向ってのがあるのかもしれない、などと思ったりする。シンクロニシティってのとはちょっと違う、なにかこう、ひとつのトピックが妙に特定の人に弱い電波を飛ばす時、みたいなのがあるような気がして。
鈍感な私はその手の微弱電波、たいてい取りこぼしてるんですけどね。
それはともかく、この松永氏のオウム時代の話はなかなか興味深い。ちょうど今、この本(→)のおかげで読書ペースが極端に低下しちゃって、未読本が積み上がる一方(大袈裟)なんだけど、「法廷」本で語られる、松永氏が言うところの「裏ワーク」に係わった人々と、そうでない一般的な出家信者の体温の差というか意識の持ち方の差、ってあたりが特にそう。松永氏が書くように、
だから、何もかもがかみ合わない。おまえたちが(あるいは、おまえたちの仲間が)起こした凶悪犯罪をどう思う、と言われても、確かに数々の証拠や証言で事件に教団が関わっていることを認めざるを得ない状況になった時点でも、なかなか「自分が関わった」とは認識ができないのである。
というのは当時の一般的な信者たちの共通した思いであったのだろうと思うのだけれど、じゃあそんな人たちは、尊師なり上級のステージにいる人なりから、「裏ワーク」に従事することを命令されたら、自分の良識に従って判断を下し、それを否定することが出来たのだろうか? 松永氏の文章からは逆に、もし彼にサリンの袋を持って地下鉄に乗り、途中でそれに穴を開けて電車に置きっぱなしにしてこい、と言われた時に自分がどうしただろうか、と言う考察が今のところ欠けていると思う。それは「今だから書けること」と言う意味でそれなりに重要な気もするのだが。
実際そのあたり、どうだったんでしょう。今、多くの信者の人は「私だったら断っていた」と言うのだろうが、当時その状況にあったなら、どうだったのかな? そのあたりの考察までフォローされるのならこれ、なかなかに得難い資料になるんじゃないかと思うんですが。
途中で予断を持って判断して欲しくない、とは松永氏も書いておられるし、私もそりゃそうだと思うんでこの件は早急に判断することはしないでおこうと思いますが、「教団の責任」とは別のところで、個々の信者に追求されるべき責任が全くなかった、とも思えない訳で。
それはあまりに酷ではないか、と言われたら、その通りなんだけどね
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