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少し前に録画してたヤツ。CS スターチャンネル・クラシックで「ドラゴンスレイヤー」。1981年アメリカ、監督マシュー・ロビンズ、出演ピーター・マクニコル、ケイトリン・クラーク、ラルフ・リチャードソン。SFXにはデニス・ミューレン、ブライアン・ジョンソン、ケン・ローストン、フィル・ティペットとそうそうたる顔ぶれが並ぶ。知ってる人は知っている、「ストップモーションはもう古い、これからはゴーモーションだ!」っていう技術面でのブレイクスルーがまず喧伝された映画。
ゴーモーションとはなんぞや? それはストップモーションによるモデルアニメに特有の、微妙なかくかく感を、前のコマと今のコマに作為的にブレを生じさせることにより、より自然な動きに見せるようにする技術。ほら、あれですよ、LightWave3D(他のソフトがどうやってるのか知らんので限定するけど)でモーションブラーをオンにすると、前のコマから今のコマまでのオブジェクトの移動量から、その間の移動分を設定したブラーの細かさによって分割した、半透明の画像を追加するじゃないですか。あれと同じ事を職人さんか機械の力で、実写映像にもブレの形でフィルムに加味するような技術、なんだと思う。たぶん。
で、確かにこの映画に登場するドラゴンの動きはすばらしく自然だ。自然だがこれ、残念ながら今見てしまうと特に「ほう」と思える映像ではなくなってしまっているのだよね。ワシらは今や「ジュラシック・パーク」を見てしまっているから。むしろ今となっては、ほのぼのとした手作り感がストレートに伝わってくる、リドサウルスやグワンジ*1の動きの方がよほど見る側にいろんな面白みを味あわせてくれる、ってのはなんだか皮肉な話だなあと思う。
まあね、技術的な話以前にこれ、映画としての出来がかなり悪いってのがそもそも致命的ではあるんだけど。
この映画は、凶暴な龍の存在に苦しむ村を知った魔法使いが、その龍を退治しようと出かける→だが龍の恐怖に苦しむ領民であれば統治しやすいと見た領主は、生贄を差し出せばしばらくはおとなしくしている龍を退治されたくはない→なので魔法使いを暗殺する→魔法使いの遺志を継いだ少々頼りない弟子が、龍退治に向かう→途中、生贄にされないように男装して旅をする少女と知り合う→一方、王はともかくその娘である王女は、公平なはずの生贄を選ぶくじが、(常に自分は選ばれないので)アヤシいのではないか、と思っている→そこに登場する魔法使いの弟子一行、そこでくじ引きにはやっぱり不正があったことを知る王女→不正を許せない王女は自ら龍の生贄となり、おとりとして魔法使いの弟子の龍退治に協力しようとする→ちょっともやもやする男装の美少女………
と言う流れでクライマックスを迎えるわけですよ。なかなか魅力的なシノプシスであると言えますね。だがしかし。
ここでワシらが期待するのは、頼りない魔法使いの弟子が、けなげな王女を救い、「私なんかより王女様の方がいいんだわ、きーっ」となってる少女の誤解を解き、みんな助かって龍は倒れて万事めでたし、だよね普通。ところがっ!
おとりとなった王女様、「きゃー」の声に駆けつけた魔法使いの弟子。彼が見たのは龍の子供たちに群がられてる王女様。すでに足のかたっぽは食いちぎられちゃってる…。おーい(^^;)。
そこまでの展開もかなりヘタレだったんだけど、このシーンで完全にこの映画を作ってる人が何を考えてるのか分からなくなっちゃったなあ。これ、ディズニー配給ですよね? いいんですかこの展開? 信賞必罰の黄金律はない話ですか? 技術的な部分はともかく、お話としてこうも救いのないネタで、一体どういう勝算があったのかなあと思ってしまったです。
*1 それぞれレイ・ハリーハウゼンがパペット・アニメーションを担当した、「原子怪獣現る」と「恐竜グワンジ」に登場する怪獣
ナナオのモニタ募集の方は、メールに返信打ったらすぐに、「モニタ契約書」なるものを送るので、そいつに記入の上郵送してくれって事で。あとはなんとか設置場所を考えないといけないなあ。
ジョン・ダニング 著/宮脇孝雄 訳
カバーデザイン スタジオ・ギブ
ハヤカワ文庫HM
ISBN4-15-170408-6 \900(税別)
警察官を辞めた私が選んだ仕事は古本屋だった。少しばかり尋常でない事件にも遭遇したけれど、なんとかこの稼業にも慣れてきたある日。その"尋常でない"事件で手にした報酬で、2万9千ドルの古書をオークションで入手し、それが元でウォーホールの言う「15分間の名声」を得ることになってしまったとき、私の前にはまた、新たな、そして不可解な謎が立ちはだかることになったのだった。リチャード・バートンの稀覯本。そこに記された著者のサイン。サインが捧げられた人物とバートンとはどんな関係だったのか。それを知ると言う人物が突然私の前にあらわれたのだ……。
ラスト一行にしびれた大傑作、「死の蔵書」、ポーの「大鴉」をモチーフに、まったりと語られる特装本の世界が楽しい「幻の特装本」に続くデンヴァーの古本屋、クリフォード(クリフ)・ジェーンウェイのシリーズ、第三弾。今回は英国の作家、リチャード・バートンがテーマ。もちろんリズ・テーラーの旦那様ではない。私も良く知らないが、解説によれば日本では「千夜一夜物語」などの翻訳で知られる作家だが、それは晩年の仕事で、その壮年期には世界各地を渡り歩き、膨大な旅行記をものした、作家兼冒険家のような人物だったのだとか。そんなバートンのキャリアの中で、南北戦争勃発前のアメリカ南部を旅行した時の記録に、なぜか空白の期間がある、と言うところまでは史実の通り。ではその空白の期間、博識の冒険家リチャード・バートンは何をしていたのか、を通奏低音に、稀覯本を巡るコレクター、それが産み出す富に群がる連中が織りなす人間模様。明かされなかった過去の真実に迫っていく、と言うあたりはゴダードの一連の作品に感じる趣があるし、そこに(今回はやや控えめではあるが)主人公、クリフによる古書の解説が加わっていつもながらのこのシリーズらしさが醸し出される仕掛けになっている、と言う感じ。いやもう、読み始まったら止められんね。
元はタフガイでならした警官。スペンサーよろしく裏の世界にもそれなりに顔が利く人物、がいきなり古本屋はじめて、しかもそれがそこそこ何とかやって行けてる、という設定に無理を感じるかどうかで、この本を楽しめるかどうかが分かれるのかも知れない。ここをあまりに都合良すぎるだろう、と思ってしまうと、この580ページばかりある物語、とっかかりで調子に乗れないかも知れないね。いやまあほんとに、根っからの古本屋だったら多分、こういうお話のような陰謀に巻き込まれたら真っ先に殺されちゃうに違いないわけで、まあここは大目に見てくださいな。そこを乗り越えられれば、実に楽しい時間が過ごせると思うから。
さて今回は、古書の世界、と言うよりはミステリアスな一人の過去の人物、がテーマになっている分、古書の蘊蓄などをあちこちで楽しめるようなつくりとは言えないあたりはちょっと辛い。リチャード・バートン、と言う作家がなかなかイメージできないあたりも浅学な日本人である私にはちょっと辛い。私は この人物を、間宮林蔵+松尾芭蕉、みたいな人物なのかな、と思って読んでいったんですけど、実際のところはどうなんだろうね。そこらにストレートに感情移入しづらいものがあったし、日本人にとって南北戦争というのが、もうひとつこう、皮膚感覚で共感できるものではないだけに読んでいて、「そういうものなのかな?」としばしば思わざるを得なかった、ことは白状しておく。なんつーかこう、アメリカ人に白虎隊のメンタリティはわからんだろうなあ、てな感じの裏返し。
本作品では南北戦争勃発前のアメリカ、がかなり大きな意味を持っているんだけど、そこのところを、たとえば新選組なり彰義隊なり白虎隊の物語に我々が持つシンパシィみたいなものを共有できないで読んでいると、今ひとつのめり込めないのかも知れないな、とは思った。少なくとも私はそうで、そりゃあアメリカ人にとっては、南北戦争こそが実は一番多くのアメリカ人の命が奪われた戦争だったかも知れんけど、海の向うの無責任な読者には、なかなかそういうのは伝わりにくいのだよね。そこが惜しかったかなあ。それ以外は(主人公の前提を良しとすれば)存分に楽しめるのだけど。
ただまああれです、随所で挟まれる古書へのお話、古本屋という職業に関するお話を読んでると、時にうんうんと頷き、時に自分を振り返って激しく恥じ入ってしまい、そしてまた時には、そういうものなのかなあとまだ見ぬ深い世界の一端をかいま見たような気分にさせてもらえる希有な本。何せ本書では、どちらかと言えば悪党サイドの登場人物さえ、こんなセリフを口にするのだよ。
「(前略)ジェーンウェイ、あんたも本屋だ。それにまだ若い。今の商売がうまくいかなかったら何をする」
彼はまた大きく煙を吸い、二本の筋にして鼻から出した。その煙に顔が隠れた。「その沈黙が答えだな。そうだよ、本屋になった者は、ほかの商売なんか考えられないんだよ」
わたしゃこの一節で、かなりこう、打ちのめされた気分になりましたよ(^^;)
(★★★★)
海上自衛隊扱いの艦で、艦種は「砕氷艦」。でも「南極観測船」の方がちょっとロマンティックかしらね。カリプソ号なんかも連想しちゃったりするし。基本的に軍艦、それもちょっとしょぼ目の巡洋艦とか好きな方なんだけど、それとは別にこの、南極観測船ってのはかなり好きな部類。目的がはっきりしたデザイン、てのに魅力を感じるのか、それとも非常識な(^^;)オレンジ色の船体に惹かれる(科特隊カラーだしなあ)のか、その辺は良くわかりませんが。
さてさて、「モデルアート」の今月号買ってきたんだけど、シールズモデル製、1/700インジェクションキット、「しらせ」の製作記事がなかなかステキ。先代の「ふじ」に比べると何となく面白みのないデザインに思えるのだけど、それでもやっぱり、こういうちょっと変わったデザインは魅力的だわさ。
そんな「しらせ」も、もう艦齢は22年。一時は新造艦の予算が付かないとか言われててちょっと心配してたんだけど、平成16年度の予算で4代目建造は認められてたようで一安心。名前はなんになるんだろうね。個人的には「たか丸」希望なんだけどな。
NHKでやってた、「にっぽんの現場『秋葉原 年の瀬の物語』」なんてのを偶然だらだらと。悪いとは思わない反面、妙に作為的匂いを感じてしまうのは昨今のNHK体質批判の風潮のゆえなのか。どこまでがやらせですか? って意地の悪い見方を、ついついしてしまうのね。
その辺を差し引いても、やっぱり少々薄気味の悪い番組ではあった、と思う。基本ラインとして、たぶんこの制作スタッフの上の方には、かつて秋葉原でラジオ少年だったりアマチュア無線少年だったりオーディオ少年だった人間がいたんだろうな、というのはなんとなく予想できる。そっち系のキャラクターへの感情移入をさりげなく織り込みつつ、少々新しいキャラクタである、いわゆる「オタク」というタームで括られている人々に対して、微妙に距離を「作った」番組造りになっているな、というイメージはあったね。
私もここで描写されるキャラクタの何人かに対しては、「甘えてんじゃねーよボケが」と、ごくストレートな感想を持ってしまったりもしたのだけれど、それと同時に、微妙なんだけどいわゆる「萌え」をベースに置くマニアと、そうじゃない、昔ながらの「マニア」との間に、なんかこう、作為的に線を引きたい、という一部スタッフの思惑が無かったとは言えないんじゃないの?ってなあたりでどうにもこう、完全に納得できる気分にはなれなくて。なかなか興味深い題材であったとは思う反面、見ていて常に、どの辺まで作ってますか? ってな気分が常につきまとってしまうような番組でもあったように思いますな。
初級はらくらく通過した「漫画検定」(毎日検定バンク)、そう言えばそろそろ中級が出とるんだよなーって事で行ってみたら、しっかり待ちかまえておったのでさっそく挑戦。うん、さすがに難しい。自信を持って答えられたのは半分ぐらいだった。結果は50問中37問正解で残念ながら不合格となりました
…という結果でございました。あたしが間違えたのは5、10、12、14、22、32、34、35、36、39、41、44、45。誰か仇取ってくれ。
それにしてもなんだな、俺って手塚マンガをあんまり読みこんでないなあ。BJもどろろも三ツ目も、雑誌で読んでたはずなんだけど全然記憶に残ってない。そう言えばコミックスも買ってないな。なんか相性でもあるんだろうか。ビッグフットの元祖である以上、別に毛嫌いする理由もなさそうな気もするんだが。
漫画検定とは全然関係ないんだけど、検定やってる最中に突然脳内に沸いて出たマンガの作者とタイトルが思い出せなくって、非常に気になってるんですわ、今。誰か知りませんかね、こういうマンガなんですが…
たぶん「冒険王」とか「まんが王」とか「ぼくら」とか、そのあたりの本の本誌か付録マンガだったと思うんですが、ってこの時点で若い人たち置いてきぼりだな、すまん。
で、戦争マンガなんだけど、南海の孤島で墜落した戦闘機を寄せ集めて、新型戦闘機を作ろうとしてる二人の若者の話なんですわ。基本はジャンクなんだけどなぜかエンジンはジェットエンジンなの。主翼はP-51のヤツだったと憶えてる。
主機がジェットってのもスゴいんだけど、そんなものを組上げるのが共に18才の若造二人ってのがまたスゴくて。で、完成したときに「俺も18、オマエも18、二人の年をあわせて36号機と名付けよう」なぁんてシーンがあったと思う。んで戦争物なので当然ラストは散華、と。
子供心に、ジャンクからジェットエンジンまででっち上げちゃうってのはスゴいなあ、ってのと、意外にジャンクの各パーツのアリモノ感がリアルだった(小学校低学年のガキでもP-51の主翼だと分かったわけだから)あたりでそれなりに記憶に残ってるんだと思うんですが、作者とかタイトルとか、思い出せないんだよなあ。なんだったんだろうあれ。
ご存じの方、いませんか? 教えていただいても何も出ませんが。
寸゛さんが書いてるのはもしかして「仮面少尉」のことかなあとか思った。ああでもちょっと時期が違うかも。てことで。岸和田→堺と回ってきましたよ。今日は全体に暖かかったのか、やっぱり南大阪はダテじゃないのか、寒さが厳しくないのがせめてもの救い。
家に帰ったら明日の朝イチに欲しい、とか言う仕事が舞い込んでてかなり途方に暮れた、つーか無理。
せめて午前中いっぱいで、とお願いしてはおいたけど、うーむ、それでも間に合わないような気がするな。
なんせそんなせっぱ詰った状態でも、夜になったら酒飲んじゃうんだもんな。
シオドア・スタージョン、アヴラム・デイヴィッドソン 他著/中村融 編
カバーイラスト 後藤啓介
カバーデザイン 東京創元社装幀室
創元SF文庫
ISBN978-4-488-55503-0 \920(税別)
アンソロジーの名手、中村融氏による怪物ホラー傑作選。本邦初訳5編を含む全10編を収録。
編者が中村融さん、トリを飾るのがキース・ロバーツと来ちゃ読まなアカンやろ、と言うわけで収録作品は以下の通り。
中村氏は本書を、「活字で読む『ウルトラQ 』」を目指す、と言うコンセプトで編んだと書いておられるが、私はどちらかというと、バート・I・ゴードンやロジャー・コーマンなんかの、ヘナヘナ風味のB級モンスター映画で知られる、AIP作品のテイストを色濃く感じてしまった。なぜそう思ったのかと言えば、ある程度その答えになっているんじゃないかと思える部分として、中村氏がデイヴィッドソン「アパートの怪人」の前説部分で書いている、こんな説明が当てはまるかも知れない。
西欧において怪物は、もともと予兆や警告を意味していた。つまり、怪物自体に意味はなく、その誕生が凶事の前兆と解釈されたのだ。
たぶん怪物なり怪獣という存在に、その誕生や動機といった(場合によってはそこにデザインも加わると思うんだが)意味づけがふんだんになされる日本の怪獣たちを見慣れてしまった故なのか、ここに集められた作品群からは、編者が込めた思いほどには「ウルトラQ」を感じることはなかった。ビジュアルな部分のウエイトが大きいテレビ番組故に、見ている側が勝手に登場する怪物たちに意味づけしてしまった、と言う部分もあるのかも知れないけれど、「ウルトラQ」には怖さと同じくらい、少し形を変えてはいるけれども、「愛らしさ」みたいな感覚もあったと思うわけで、さすがにそう言う微妙な部分は、このアンソロジーからは読み取れなくて、その代わりに感じられるのが、前にも書いたような、微妙なAIP風味。別にバカップルのクルマのヘッドライトで昇天するエイリアンや、もそもそ動く金星ガニなんかが出てくるわけじゃないけど、怖さとともに、どこか憎めない安っぽさが伴う作品が、特に本書の前半、アメリカ作家の作品には漂っているような気がする。
そこに行くとさすがに英国作家ってのは、どこか底意地の悪い部分がある、と言えるのかも知れない。派手な見せ場はやや少なめなウィンダムやロバーツの作品には、ツカミは少々弱いんだけど、よく考えたらそれって怖くね? みたいな、じわじわ効いてくる怖さ、みたいなものがしっかり備わっている、とは感じた。それが作家の技巧なのか、国民性の微妙な違いなのかはわからないのだけれど。
私はどっちも好きなので、これはなかなか楽しめるアンソロジー。日本製怪獣映画を彷彿とさせつつ、どこかアメリカンに抜け作な「アウター砂州に打ちあげられたもの」、これは「ウルトラQ」に入ってても違和感ないかも、と思わせる「アパートの怪人」、それからロバーツの、地味に技巧を重ねてくる「スカーレット・レイディ」あたりはかなり好み。楽しませていただきました。
★★★★
「とある科学の超電磁砲」、「マクロスF」(再)、「NEEDLESS」(終)、「魔法少女リリカルなのはA's」(終)、「鋼の錬金術師」、「坂の上の雲」。
ちょっと大きな話が一段落して、今回はれービス回的なお話だった「超電磁砲」。そして冬のさなかに水着回。美琴お姉さまの中の人はカレーが大嫌いって話を知ってると、いろんな意味で香ばしいかも。
何だかんだ言うても2クールあると何となくお話の起承転結が見えてくるなあって感じだったのが「NEEDLESS」。超絶的にめちゃくちゃな構成だったにも関わらず、なんかちゃんとした話を見たような気になったよ。
日曜朝は特番でお休み。「ハガレン」は原作読んでないので良く分からんけど、これが原作通りであるのなら、すばらしく練られたシノプシスであることであるな。最初に縛りがあり、その縛りの中で相手を出し抜くために何をどうするか、ってあたりの筋立てがかなり上手いと思った。
「坂の上の雲」はまあ面白いんだけど、これで続きが来年末ってのはちょっとねえ。
拗ねて夕方から読書してた。だってやることいろいろあるだろうに、どいつもこいつも何も言ってこないんだもんね。1人だけシャカリキになって作業すんのがバカらしくなったので軽石庵さんから一冊借りて読書(読むべき本は結構積み上がってるんだが、なんかSF読む気分じゃなかったので)。エド・マクベイン、87分署シリーズ第40作「ララバイ」→amazon(ユーズドのみ)。大晦日のアイソラで発生した二重殺人事件。被害者は生まれたての赤ん坊と、ティーンのベビー・シッターの少女。同じ頃、同じ建物で発生した強盗事件に何らかの関連があると見たキャレラたち87分署の刑事達は、新春の街に散るのだったが…。
ヘイスティングス警視やらエイブ・リーバーマンやらスキナー署長(そういえば続きが出ないな)やら、われらがフロスト警部やら、自分は多分警察小節ってジャンルが好きなんだろうな、と思う。常人離れした推理力を持った探偵やら、超人的な戦闘力を持ったヒーローが大活躍するミステリーやハードボイルドより、地道でスカも多い捜査活動を粘り強く続けていく普通の人たちの群像劇、みたいなものが好きなのかも知れない。本書ではそんな、87分署の刑事達の捜査活動の描写に、心理的なトラウマをかかえた女性刑事、アイリーンのエピソードを交え、かつ、現在と過去のエピソードのカットバックを巧妙に配置した、構成の巧さに感心させられる。特にこのカットバックの入れ方が、現在と過去のエピソードの混じり具合の頻度が、お話が進んで行くにつれて頻繁になっていく、という仕掛けになっていて、ここのところのお話の捌き具合がかなり良い感じ。ミスリードへの誘い方なんかも巧妙だしなかなか楽しめる。ミスリード側の捌きが上手い分、本スジでのサスペンスの解決の方に、やや運に頼りすぎなんじゃないかそれはと思えるところもあったりして、そこはちょっと不満もあったんだけど、総じて満足満足。いやー、やっぱ本読むのは楽しいよなー。
なんというか、もはや話はネタ方面に振れつつあるんだけど、もしも「もしドラ」の作家がもうすこしドラッカーを読んでいたら(BLOGOS)。自炊問題に関して、「ブラよろ」(タイトルを略すのは失礼だが、後述の本のタイトルはさらに長くてフルで書く気がしないので、そちらに合わせると言うことで)の作者、佐藤秀峰氏が寄せた一文に対する、「もしドラ」の作者、岩崎夏海氏の反応を受けてのコメント、ってことでまあ、出来の良くない伝言ゲームのようなもんだ。
ただまあ、スキャン代行に対する異議申し立て、それに対する反応、さらにそれに対しての揺り返し、みたいな流れが見えてくるあたりは、野次馬的にはちょっと面白いかも。
個人的にはちょっと、自炊してみようかなって気も起きつつはあったりする。イーインクってのがどのくらいのものなのか、ってところには少々興味はあるの。
ただ、よく考えたら売るほど本がある割に、ざくざく裁断しても大丈夫な本が、身の周りになかったりするんだよね。だって売り物だもんな(^^;。
ジェリー・アンダーソン(asahi.com)。不思議と悲しいという気持ちはなくて、ただひたすらしみじみとした感慨があるばかり。
自分が今こんな人間なのは、その半分以上は「サンダーバード」からもらった「何か」の集合体なんだろうと思う。明るい未来志向、模型好き、メカフェチ、特撮好き、そこから延びたSF好き……。「サンダーバード」に出会ってなかったら、自分はずいぶん違った人間になったんじゃなかろうか。たぶんオレは「サンダーバード」とあとはそうだな、「頭上の敵機」と「ラット・パトロール」と「サブマリン707」でできてるんだろうと思う(^^;。
本当に、尽きせぬ感謝を込めて、どうか安らかに。
いや別にきっちり区切りを付けてどうこう、ってものでもないので相変わらずだらだらやりますが。
ていうか仕事が収まるとかどうとかの前に、日本がおかしな方に収まっちゃいそうな雲行きなのは一体どうしたことかと。そういう人が一国の元首になることを許したのはウチらなんだから、自業自得と言えばそうなんだけど、意外に阿部さんの行動を支持して、そこに批判をしてくる中韓米の方こそ黙っとけ、的な論調が(webでは)案外多いのにちょっといやな感じはするかも。
日本には日本なりの立ち位置と立つべき姿があって、それは他所からどうこう言われる筋合いのモンじゃねえ、というのは確かに良い気っ風ではあるかも知れんけど、その格好良い風の切り方から来る損得勘定は誰かちゃんと弾きだしているのか?
一応一番の友好国である国に不快感を与え、極めて近い位置にあり、必ずしも友好的とは言えない国を不必要に怒らせてまで得られるものってなんなの? 中韓は怒った、でもそれ以外の、たとえば(同じく、とりわけ中国を厄介に思っている)東南アジア諸国は日本に対してより親しい態度を取ってくれるようになる、とかいうメリットがあったりするのかね?
阿部さんが靖国に参拝することで中国に対する逆包囲網的なものが形成される、とか、そういう旨味でもあるんならまあいいか、とも思うけど、現状あの人がやってることは、鎖国上等、ってアクションにしか見えないんだけど。で、今鎖国したら間違いなく滅ぶぜ、この国。
「劇場版 空の境界」、「凪のあすから」、「革命機ヴァルヴレイヴ」。「空の境界」は「殺人考察」編の最終編二本連投。最後にイタい絵をつるべ打ちしてきたなあ。通して見たなら絵的には高品質、お話的にはやや食い足りないところあり、ってところかな。式という女性がどういう人なのか、ってあたりが少々曖昧なまま、すべてのエピソードが語られていったような気はする。続きがあるんですよね? もうちょっと見てみたい、って気はしたな。
「凪…」はリタイヤ決定。煮え切らない登場人物達が延々訳のわからん行動をとられても、見てるこっちはちっとも感情移入出来ないよ。
「ヴァルヴレイヴ」は最終回。んー、いろんなものを放り投げたな、という感じか。面白くなりかけてた時もあったんだけど、尺が足りなかったのか力が足りなかったのか、どっちなんだろう。いずれにせよ最初に用意した風呂敷はちょっと大きすぎた感じだね。
「ヘヴィーオブジェクト」、「ハイキュー!!」、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」、「仮面ライダーゴースト」、「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」。「ヘヴィー…」は相変わらずの半笑い(そこまで敵は無能ですか)、「ハイキュー」は鉄板。「ニンニンジャー」は総集編しつつ最終決戦へのヒキ、「ゴースト」は新形態登場編。
で、「オルフェンズ」がいよいよ牙を剥いてきたかな、という感じだろうか。「殺していい」から殺すけど、でもその殺しはトラウマとして少年の精神に影を差す、なんてあたりはなかなかなものだと思いましたよ。
コニー・ウィリス 著/大森望 訳
カバーイラスト 松尾たいこ
カバーデザイン 早川書房デザイン室
ハヤカワ文庫SF
ISBN978-4-15-012038-2 \1280(税別)
ISBN978-4-15-012039-9 \1280(税別)
2060年の英国から1940年代に送り込まれたダンワージー教授の研究室の史学生たち。だが、彼らを自分たちの時代へと帰還させるための降下点がなぜか開かず、回収チームも現れない。異なる地点に送り込まれた三人、ポリー、アイリーン、マイクは幾多の苦難の末、ようやく合流に成功し、大空襲下のロンドンで帰還の方法を模索する。一方、2060年のオックスフォードでは、ダンワージー教授が自らの航時理論に致命的な問題があることに気がつく……。
「ブラックアウト」に続くダンワージー研究室ものの最新長編。第二次大戦の一大エポック、
そこの所の「物語を読ませる」技についてはほぼ文句なし。「ほぼ」なのは、1941年のロンドン市民の暮らしぶり、というどちらかというとミクロな視点は極めて濃密に描写されていて、そこの所の読み応えは満点なのだけれど、第二次大戦の進行状況、というマクロな視点での状況説明は、ミクロ視点サイドの人々からの状況説明などで間接的に語られるので、どうしてもその時々での「ここでこれがこうなったら大変だ」感が薄めになってしまう。自分はどっちかというとこの辺(戦記の読み込み量的な話)は強めで、そんなに説明してもらわなくても判る方なんだけど、それでももうちょっと、状況説明はあった方が良かったんじゃないのかな、という気はしたけどね。
とはいえなんだかんだで「物語」を読む、という楽しみは充分に味わえるのだけれど、んじゃあSFとしてはどうなんだ? ってところについてはわりと疑問符が多めについてしまうかも知れない。このお話はタイムトラベルがテーマになっていて、で、ここまでにいくつかのお話が発表されているんだけれど、前作たちと決定的に違うのは、タイムトラベルのシステム自体にツッコミを入れてきたところ、なんだけどそのツッコミとツッコミの捌き方はそれで良かったの? という気はしてしまうんだよな。
ダンワージー理論、というかウィリスの設定上のタイムトラベル理論というのは、歴史というのは大きな川のようなもので、上流で石を投げ込んで、川の流れに波紋を生じさせたとしても、大量の水の流れがその波紋を均してしまい、下流の水の流れはそれまでと変わらないものになる、と言うことなのだろうと思う。だから大河に発生した波紋であるポリーたちに降りかかる運命とは、ってのが本書の後半の見所になるわけなんだけど、正直その捌き方は100%得心のいくものなのかね、と言う気がしてしまうんだった。最終的に「オール・クリア」にはなったけど、この流れでクリアになるものなんだろうかね、って気持ちは完全には拭えない。
なのでSFを読む上でのどんでん返しの気持ちよさ、みたいなものは残念ながら割に希薄。それでもストーリーテリングの面白さはすばらしいので、なんか良いものを読んだ気にはさせてもらえる、ちょっと困った一作かもね(^^;。
★★★☆
amazonの荷物受け取り、コンビニで受け取るようにしてるんだけど、ローソンはスマホにコピーしたバーコード見せれば良いんだけど、ファミマはなんか、ファミなんとかいうキカイで番号入力して、出てきたレシートをレジに渡す、って手続きが必要なのな。なんか面倒くさいなあ、もうちょっとスマートにできないものか。
ってことで今年もいただきました、ユキちゃんからのクリスマスプレゼント。いつものようにamazonギフトカードが恐ろしい過剰包装で届いてました。キャッシュカード一枚分のブツなのにね(^^;。
今回はさらに缶ケース入りでございました。なんか仕事ぶりも評価してくれたみたいで恐縮です。
さて、毎年ユキちゃんからのプレゼントは本に化けてたんだけど、ちょっと考えた。これ使ってアマプラの会員権とったらすんげー良いんじゃないかしら、って。
ってことで月明けにもアマプラ、申し込んでみようと思います。どれくらい活用できるだろうねえ…。
ジョン・スコルジー 著/内田昌之 訳
カバーイラスト Shinnichi Chiba
カバーデザイン 早川書房デザイン室
ハヤカワ文庫SF
ISBN978-4-15-012210-2 \1160(税別)
多くの文明世界を統括する帝国、"インターディペンデンシー"。本来ならばその王位を継ぐはずだった兄を事故で喪い、望まずして次期
危機の回避のため、入手したデータを全て皇帝のもとに送り届けるため、伯の息子、マースが出立しようとしていたが、折悪しくエンドは内戦の真っ最中だった……
と来りゃあ普通は、ははん、割と早めにマースとカーデニアは出会い、そこからは対立したり、和解したりしながら少しずつ距離を縮め、宇宙を股にかけた大冒険を繰り広げるんだろうな、と期待するわけですが残念ながらこれは(も)三部作(最初は二部作構想だったとか)、そう簡単にヤマ場はやってこない。まずは世界の説明とキャストの紹介がメインになってくる。で、そこのところのイントロデュースの手際はさすがスコルジー(と内田さん)、手際よく、わかりやすく、さらにストーリーを前に進める力も、あまり弱くならない程度で推してくれている。
この世界のFTLのキモは、人間側がどうこうする事の出来ない「フロー」という異次元空間を利用する事で可能となり、フローに入るには
というわけで、あくまで序章、ってことなので盛り上がるのは次巻以降な、って事になってしまうのは仕方がないところではあるんだがそんな中、頑張ってるのが今のところ敵か味方かはっきりしない公家ラゴスの娘、キヴァ。一応貴族階級の女性なんだけど、男勝りの宇宙船オーナー、徹底的に汚い言葉遣いで事に当たり、口でファックを連発しながら身体もファックしまくり、の中で力技を行使しまくる。ってあたりがなかなか痛快。まあこの先はカーデニアとマースの物語が中心になっていくんだろうけど、本書の主役はどう見てもキヴァ姐さんだよね(w。
スコルジーさん自身が「デューン」シリーズに影響された、なんて事を言ってるらしいけど、確かにデューンの、特にシリーズ後半、なんなら息子のブライアンが書いたシリーズ(『公家アトレイデ』とかね)のイメージはあるかも知れないね。んまあこちらはかなりポップな演出がされているとは思うけど。もとより原書の文体なんて自分にはわからないんだけど、訳者の内田さん、そこらをかなり良い感じに日本語に移してくれてるような気がする。そもそも「公家」って単語のチョイス自体がデューン・リスペクツだよね(^^;。
ってことでお話としての満足感にはちょっと。基礎点はまんべんなく取れてるけどGOEが全く付いてない感じ(にわかフィギュアオタク感)ですかね。ただ、続きが楽しみ感、ってところは逆に上がるよね。待ってまーす(w。
★★★☆
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□ Rダニけん [グワンジ。まことちゃん。]
□ ROVER [そうそうあれで殴られると痛い…てそりゃグワシやがな!(お約束)]