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久村さんの日記で知った、@nifty:デイリーポータルZ:千代田区の渓谷を見上げる。「おお、劇場版パトレイバー」と思ってしまった。実際LDのおまけ画像で、押井さん、お船に乗ってロケハンしてたもんなあ。なかなかオツなもんですな、東京に行ったらやってみたい。缶ビ片手に。
グレゴリイ・ベンフォード 著/矢口悟 訳
カバーイラスト 生頼範義
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ文庫SF
ISBN4-15-011473-0 \920(税別)
ISBN4-15-011474-9 \920(税別)
前任の首相、デマーゼルの辞任、その彼による指名によって突如、銀河帝国首相の候補者の一人となった天才数学者、ハリ・セルダン。正体はR・ダニールであるデマーゼルの突然の辞任とセルダンの指名の裏に、一体どんな深謀が隠されているのか。当惑するセルダンを尻目に、帝国内の権力抗争は人知れずその激しさを増していく。デマーゼルと、皇帝クレオス1世が推すセルダンを快く思わない議会側も、独自の候補者を押し立ててきたのだ。議会側が推す候補者、ラマークの放つ刺客によって窮地に立たされるセルダン。同じ頃、「新世代古典復帰」を標榜して活発な活動を続ける辺境の惑星、サークでは、古代の模造人格を封じ込めた二個の磁性体が発掘されていた。かつて地球に存在した懐疑的思考の巨人ヴォルテールと、信仰に篤い敬虔な人格者ジャンヌ・ダルクの人格を摸したこの磁性体が、やがてセルダンをめぐる権力闘争、さらには銀河帝国の未来に大きく関わってくることになるのだ…。
「ファウンデーション」、というかロートルな私はむしろ、「銀河帝国の興亡」の方がしっくり来るわけだけど、その「ファウンデーション」の世界の新しい物語を書かないか、というアシモフの遺族と編集者からのオファーに対し、ベンフォードが僚友であるグレッグ・ベア、デイヴィッド・ブリンと組んで新しい三部作を構想した、その第一部がこれ、というわけ。A(アシモフ)を継ぐ3人のB、と言うわけでカバー裏には三人が"The Killer B's"などと名乗って三人仲良く収まった写真が載ってたりする。
さてお話は、アシモフのお話で言うところの「銀河帝国の興亡」の(1)と(2)(『ファウンデーション』と『ファウンデーション対帝国』)「ファウンデーションの誕生」の1章と2章の間に挟まる物語で、言うまでもなくそれ以降にアシモフが記したファウンデーションの物語も踏まえての物になっている。ここで語られるのは銀河帝国の首相の座をめぐってセルダンが巻き込まれる権力抗争を軸に、心理歴史学による未来史観へのアプローチ、模造人格とコンピュータ・ネットワーク、かつての本筋で恐るべき力を見せたミュールに勝るとも劣らぬ人類文明の脅威、などがちりばめられ、最終的には「ファウンデーション」にとどまらず、アシモフのもう一本の看板シリーズであるところの、陽電子シリーズとも微妙に重なり合いながらお話は進んでいく。最近の"B"の人たちの小説のご多分に漏れず、こいつも重厚長大、正直言って途中で何度も投げ出したくなってしまう様な本ではあった。それでも頑張って読んでいくと、後半面白くなるんですが。
後半少し面白くなるのは、セルダン、R・ダニールというアシモフ式スターシステムの看板俳優二人がそれなりにええ芝居をしてくれていること、ここに模造人格であるのだけれどとある理由で製造者の思惑を超えて強力な存在となったヴォルテールとジャンヌ、そしてまだ見ぬ脅威との絡み、がそこそこ(あくまで、そこそこ。なんというかね、既視感ありまくりなんですわ、この展開)よかったからなのだけれど、全体としてみたらどうだろ、あまりにも"考えすぎ"なお話、と言うイメージがあるんだなあ。
銀河帝国、と言うコンセプト自体大本はローマ帝国であったわけだし、アシモフはそれを向かうところ敵なしの第二次大戦後のアメリカの姿も踏まえた上で潤色し、新たなイメージを膨らませたわけだけど、1990年代のベンフォードにとっては、描くべき帝国の姿はアシモフが最初に「ファウンデーション」を描いた頃に比べて描くべき細部は激増し、描きたいカタルシスには著しく乏しい物になってしまっていた、と言うことなのかな。セルダンの思索を通じて語られる人類の未来のビジョンが、なんというかな、内省的に過ぎてなんの面白みもない、と感じられてしまうのだね。
いま、アメリカはたぶん地球最後の大帝国なんだろうと思う。その大帝国が、いまや衰亡の危機にある、と言うことをアメリカ人であるベンフォードは敏感に感じていて、そのことがこのお話に、作家の思索を登場人物に語らせすぎることによって生じるどうしようもない冗長感をもたらしてしまっている、ように思えるなあ。憂国の士の出来の悪い寓話を読まされているような気がしてしまうのね。比較的リベラルなはずのベンフォードでこれだったら、最終話を担当している、アメリカンウェイマンセー傾向の強いブリンの作品がどうなっちゃうのか、心配でたまりませんわ。
それはともかく。「ファウンデーション」、すっかり忘れちゃっているなあ。これは読み直してみなくちゃいかんな、と真剣に思ったです。って、創元版の(1)しか手元にないぞ。なんとしたことだ、古本屋が古本を探す羽目になるとは(^^;)。
もいっちょ余談。これはホントに感覚的な物なんですけど、コンピュータの進歩はSFをつまらなくした、と思いません? コンピュータで出来ること、出来るために何をどうすればいいか、が割と明確になってきた分、小説の中で語られるコンピュータがらみの描写が、「そうなるよねー」的な、妙に醒めた印象になってしまってねえ。
(★★★)
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そうなんですよ! 忘れてるんですよ! 前編の真ん中(討論会のあたり)でストップかけました。 もちっと早く文庫落ちしてほしかったなぁ…
オレ、たぶん厨房だったもんなあ。ハヤカワで出たときには読んでないし。そりゃ忘れるわなあ。