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何をするにも若い頃(おじさんもう40代も半ばだからね)の倍ぐらい時間がかかってうんざりしちゃう今日この頃 。若い人には想像できないかも知れませんけどね、40代っちゅうのは、マズいですよ。一年経つごとに自分の動作が遅くなってるのがわかりますもん。しかも若い頃の記憶もあるから、もっと効率よくやれたはずだ、って意識も強いのね。ここらのギャップで、自分が悪いにもかかわらずハカの行かねえ仕事ぶりに、妙に不機嫌になったりして。
いや、去年の今ごろ(古本屋開く準備でるんるんだった頃ですな)なら50冊の古本のデータなんて、半日あればスキャニングからCSVファイルの作成まで出来てたのに、今じゃ一日かかっちゃってるよなあ、と。なんなんだろうね、何もしてないうちにもうこんな時間、って感じることが最近多いんだよな。こういうの、トシとった証拠なんだろうなあ。
adramineさんの日記で知ったネタ。ハングオン(その5)。勝てん、これでは並のドライバーではフェラーリには勝てん。
だらだらした試合で4連敗。借金1。今年の目標は1位(Bクラスの)なので、まあ落ち着くところに落ち着きつつある、といえるんだけど、それはそれとして今年は一つ見所があって、それは藤本の守備。阪神のショートといえば、私なんかは掛布、平田の黄金の三遊間をつい思い起こしてしまうわけで、去年ショートに起用された焼鳥屋のボンの守備は歯がゆくてしかたなかったんだけど、今年はいいねえ、去年とは別人のようだ。
検索しようと思ったんだけど検索のキーになる言葉が出ないんでうろ覚えで申し訳ないんだけど、85年の優勝当時、どこかのスポーツ紙で、毎日タイガースに関する川柳を詠んでおられる方がいらして、この方が平田を題材に詠んだ句に、「漁り逃がす 様も絵になる 夜釣りかな」(この句自身、記憶曖昧です)てのがありましてな、これ、かっこええなあと思ったわけですよ。名手平田にふさわしい句だなあ、と。
んで今年の藤本くん、かなりこの、平田の境地に近づいてるんじゃないかなあと思えてね。鳴り物入りのルーキーの参入なんかで危機感も持ったんだろうけど、とにかく去年のザルみたいな守備から、格段の進歩を遂げてて実に頼もしい。あとはあれだ、平田は「うおー良く取ったー」ってプレイはおおむねアウトにしてくれるんだけど、藤本くんは「うおー良く取ったー…けどセーフか」ってプレイが結構あるんで、そこを直していってくれたらなあ、というところで(捕球は文句ないんだけど、送球がまだちょっと不安なんだよね)。んでもおじさん藤本くん応援してます。優勝とかは別の話。見てる人の気持ちを昂ぶらせてこそプロスポーツなんでね。
久村さんの日記で知った、@nifty:デイリーポータルZ:千代田区の渓谷を見上げる。「おお、劇場版パトレイバー」と思ってしまった。実際LDのおまけ画像で、押井さん、お船に乗ってロケハンしてたもんなあ。なかなかオツなもんですな、東京に行ったらやってみたい。缶ビ片手に。
グレゴリイ・ベンフォード 著/矢口悟 訳
カバーイラスト 生頼範義
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ文庫SF
ISBN4-15-011473-0 \920(税別)
ISBN4-15-011474-9 \920(税別)
前任の首相、デマーゼルの辞任、その彼による指名によって突如、銀河帝国首相の候補者の一人となった天才数学者、ハリ・セルダン。正体はR・ダニールであるデマーゼルの突然の辞任とセルダンの指名の裏に、一体どんな深謀が隠されているのか。当惑するセルダンを尻目に、帝国内の権力抗争は人知れずその激しさを増していく。デマーゼルと、皇帝クレオス1世が推すセルダンを快く思わない議会側も、独自の候補者を押し立ててきたのだ。議会側が推す候補者、ラマークの放つ刺客によって窮地に立たされるセルダン。同じ頃、「新世代古典復帰」を標榜して活発な活動を続ける辺境の惑星、サークでは、古代の模造人格を封じ込めた二個の磁性体が発掘されていた。かつて地球に存在した懐疑的思考の巨人ヴォルテールと、信仰に篤い敬虔な人格者ジャンヌ・ダルクの人格を摸したこの磁性体が、やがてセルダンをめぐる権力闘争、さらには銀河帝国の未来に大きく関わってくることになるのだ…。
「ファウンデーション」、というかロートルな私はむしろ、「銀河帝国の興亡」の方がしっくり来るわけだけど、その「ファウンデーション」の世界の新しい物語を書かないか、というアシモフの遺族と編集者からのオファーに対し、ベンフォードが僚友であるグレッグ・ベア、デイヴィッド・ブリンと組んで新しい三部作を構想した、その第一部がこれ、というわけ。A(アシモフ)を継ぐ3人のB、と言うわけでカバー裏には三人が"The Killer B's"などと名乗って三人仲良く収まった写真が載ってたりする。
さてお話は、アシモフのお話で言うところの「銀河帝国の興亡」の(1)と(2)(『ファウンデーション』と『ファウンデーション対帝国』)「ファウンデーションの誕生」の1章と2章の間に挟まる物語で、言うまでもなくそれ以降にアシモフが記したファウンデーションの物語も踏まえての物になっている。ここで語られるのは銀河帝国の首相の座をめぐってセルダンが巻き込まれる権力抗争を軸に、心理歴史学による未来史観へのアプローチ、模造人格とコンピュータ・ネットワーク、かつての本筋で恐るべき力を見せたミュールに勝るとも劣らぬ人類文明の脅威、などがちりばめられ、最終的には「ファウンデーション」にとどまらず、アシモフのもう一本の看板シリーズであるところの、陽電子シリーズとも微妙に重なり合いながらお話は進んでいく。最近の"B"の人たちの小説のご多分に漏れず、こいつも重厚長大、正直言って途中で何度も投げ出したくなってしまう様な本ではあった。それでも頑張って読んでいくと、後半面白くなるんですが。
後半少し面白くなるのは、セルダン、R・ダニールというアシモフ式スターシステムの看板俳優二人がそれなりにええ芝居をしてくれていること、ここに模造人格であるのだけれどとある理由で製造者の思惑を超えて強力な存在となったヴォルテールとジャンヌ、そしてまだ見ぬ脅威との絡み、がそこそこ(あくまで、そこそこ。なんというかね、既視感ありまくりなんですわ、この展開)よかったからなのだけれど、全体としてみたらどうだろ、あまりにも"考えすぎ"なお話、と言うイメージがあるんだなあ。
銀河帝国、と言うコンセプト自体大本はローマ帝国であったわけだし、アシモフはそれを向かうところ敵なしの第二次大戦後のアメリカの姿も踏まえた上で潤色し、新たなイメージを膨らませたわけだけど、1990年代のベンフォードにとっては、描くべき帝国の姿はアシモフが最初に「ファウンデーション」を描いた頃に比べて描くべき細部は激増し、描きたいカタルシスには著しく乏しい物になってしまっていた、と言うことなのかな。セルダンの思索を通じて語られる人類の未来のビジョンが、なんというかな、内省的に過ぎてなんの面白みもない、と感じられてしまうのだね。
いま、アメリカはたぶん地球最後の大帝国なんだろうと思う。その大帝国が、いまや衰亡の危機にある、と言うことをアメリカ人であるベンフォードは敏感に感じていて、そのことがこのお話に、作家の思索を登場人物に語らせすぎることによって生じるどうしようもない冗長感をもたらしてしまっている、ように思えるなあ。憂国の士の出来の悪い寓話を読まされているような気がしてしまうのね。比較的リベラルなはずのベンフォードでこれだったら、最終話を担当している、アメリカンウェイマンセー傾向の強いブリンの作品がどうなっちゃうのか、心配でたまりませんわ。
それはともかく。「ファウンデーション」、すっかり忘れちゃっているなあ。これは読み直してみなくちゃいかんな、と真剣に思ったです。って、創元版の(1)しか手元にないぞ。なんとしたことだ、古本屋が古本を探す羽目になるとは(^^;)。
もいっちょ余談。これはホントに感覚的な物なんですけど、コンピュータの進歩はSFをつまらなくした、と思いません? コンピュータで出来ること、出来るために何をどうすればいいか、が割と明確になってきた分、小説の中で語られるコンピュータがらみの描写が、「そうなるよねー」的な、妙に醒めた印象になってしまってねえ。
(★★★)
お仕着せの日記じゃなく自前の日記を使うときの選択オプションに「その他」ってのが増えてるな。これ選んでrdfファイルのありかを教えてやったら、tDiaryでもうまく反映されるのかな? ちょっとテスト。
昨日読見終えた「ファウンデーションの危機」が、あまりに「『ファウンデーション』ってそうだったっけー?」な感じだったので、ちょっと引っ張り出して読んでみた。ウチにあるのは東京創元版。厚木淳訳、1968年再販。細かいところは忘れていたけど、ああ、そうそう、「市長」に「貿易商人」。うんうんそうだった、そんな話があったよね。でも、これじゃやっぱり話繋がらねえよなあ………、ってあっ、ワシ、完全に読み違えてたのか、「銀河帝国の興亡」じゃなく、「ファウンデーションの誕生」の1章と2章の間、のお話だったんだ。そりゃあこれをいくら読んだって、話は見えて来ねえよなあ(^^;)。久村さんがツッコミで、もうちょっと早く文庫に
って書いてらっしゃったのはこういうことだったんだ。なんてバカなんだ>オレ。ま、久しぶりに古典に触れることができたので、それはそれで良かった、と言うことにしておこうか。
それはともかく。
このころのSFってすごく読みやすいのはなんでなんやろね。最近のハヤカワ文庫、考えなしに活字を大きくした結果、文字の列と行間のアキのバランスが大変悪くなっていて、逆に読みにくくなってしまったなあと思うことは多いのだけれど、それとは別に、内容の方でも何かが少し違っている、様な気がするなあ。
未来を描くのが仕事のSFなんだけど、昔の方が読み手に勝手に空想させておけばいい部分が多かった、てことなのかな。今のSFは、読み手の勝手な空想のかわりに、考え得る限りの知識と理論を総動員して、あらゆるものを説明しないと気がすまないジャンルになってしまった、ってことなんだろうか。いみじくも「ファウンデーションの危機」のあとがきでベンフォードは、SFの中核となっているのは、科学という経験の蓄積である
と書いているけれど、もしかして今のSF、科学という経験の積載量オーバーで突っ走っているダンプカーのようなもんなんじゃないだろうか、などとふと、考えてしまったことでした。ということで話が大きくズレ、かつ収拾がつかないままこの項終了(ぉぃ)。
たおさんとこで知った、北村龍平監督最新作「ゴジラ FINAL WARS」にMGSシリーズ アートディレクター 新川洋司が参加(コナミ コンピュータエンタティンメント ジャパン)。で、このコナミの新川洋司氏が担当しているのが、轟天と地球防衛軍兵士、なんだそうな。ふむ。
や、別にそないに悪いデザインだとは思わんですよ。シド・ミード版のヤマトを見たときと似たような気分かな、「ああ、なるほどね」、で終わり、みたいな感じ。そんでもまあ小林誠さんの「ラ號」よりはマシかなあと思いますよ、うん。実際ミニチュアなりCGIで表現されたらまた印象は変わってくるだろうしね。
兵隊さんデザインの方は、あれだなあ、紀里谷キャシャーン以降、顔の下半分だけ隠した超人、てのがトレンドになりつつあるんですかね。それ、瀕死のダース・ベイダーみたいであんまり好きじゃないんだけどなあ。
えー、神戸のローカルUHF局サンテレビでは、阪神線の中継が他社に押さえられてるときとかに「虎辞書なる!!」ちう番組をやっておりまして。サンテレビが保有している過去のライブラリから、虎ファンが気分良くなる試合を適当にダイジェストで流す、だけの番組なんですが今日は1985年4/18の巨人戦。この前日が、例の伝説のバックスクリーン3連発の試合。でこの日も真弓、バース、岡田のホームランで11点取って勝つ試合なワケですが、いやあ、20年前の甲子園、今みたいなクソやかましさには包まれていなかったのだなあ、ってあたりを再確認。まあ、この時点でまさか優勝するとは誰も思ってなかったもんね。これが半年後には、大阪は(この年私、結婚したんですけど)結婚の打ち合わせに田舎から出てきた私の親父をして、「大阪というのは無法地帯な街なのか?」と言わしめるバカ騒ぎのるつぼに叩き込まれていたわけですが。
などと妙に感慨深くチャンネルを戻すと、今日のタイガースはしっかり逆転負けを喫してるわけで。とほほ。
倅も18になったことだし、今日の晩飯は炉端にゴーだ、ってことで。最近ウチの倅は日本酒(冷酒)を飲むようになってきてて、今日はほいほいと一合ぐらいは飲んだんじゃないのかしら。普段は1万でお釣りの来る居酒屋で、1万オーバーの勘定だったものね。冷酒をくいっ、続いて冷たい烏龍茶かお水をこくん、と、うまい飲み方するなあお前、誰から教わったんだ。カミさんの方が妙に対抗意識燃やして先に自滅してしまったじゃないか(つれて帰るの大変なんだよ、手伝えよお前)。
結局三人で七合ぐらい飲んだのかね、いやあ、倅と酒が飲める、ってこれ、いいなあ(じーん)。オレがこれなんだからじいさまはもっと喜ぶだろうな。来年の年始は任せたぞ>倅
えー、世にフェチネタはさまざまあるわけで、たとえば鼻責めフェチ(18禁)、なんてな方の存在はつとに有名だったりする訳だが、今回ご登場は実に珍しい、剃髪フェチな方のサイト、逆癒系列。なんつーか、普通に(いや、すばらしく)上手い方なんだけど、なぜにそこまでつるつる頭にこだわりますか。いろんな世界があるものだなあ。
「頭文字D Second Stage」、「光と水のダフネ」、「機巧奇傳ヒヲウ戦記」、「特捜戦隊デカレンジャー」、「仮面ライダーブレイド」、「ふたりはプリキュア」。
デカレンジャーはキレイどころふたりフィーチャリング(#17 ツインカム・エンジェル)。揃ってマヌケぶり全開の男性陣、最後は人間餃子にされかかる、ってな展開も、ジャスミンたんウメコたんのサービスショットも結構なんですが、うーむ、子供番組、しかも朝っぱらから飲酒大推奨、ってそれ、大丈夫なのかぁ? ボスの「飲んだら乗るな!」には笑ったけどね。あと、変装はウメコの特技だと思ったんだけど、あれはキカイの力で誰でも使える物だったの? エンディングもお話に併せて女の子二人を前に出した新曲。仏頂面で「♪chu chu chuー」と合わせる青の人にややウケ。
ブレイド(#20 標的は虎太郎)の方はあれだ、わー、幼稚園バスー(^^;)。なのにその幼稚園バスが最終的にどうなったのかをちゃんと描いてくれないので激しく不満。本日から新しい上級アンデッドが登場した訳なんだけど、この方もやっぱり短命なんでしょうなー。
ホントは昨日の深夜の話。何の気なしにテレビつけたら、「復興の詩 Final」って番組が。故・河島英五が中心になって立ち上げた「復興の詩」コンサート、今年が「最低10年は続けよう」という意気込みで始まった、その節目のものであったというわけ。何とはなしに最後まで見てしまった。テレビで見た限りに置いては、いくつかはとてもすばらしく、いくつかはどうしようもないクズ、がごっちゃになったコンサート、と言う印象だったなあ。
その意志は買う。そこに集まる人びとの熱意、というか善意、も買う。いいことだと思う。でもこれはコンサートだ。コンサートとしては全くプロデュースされていない。コントロールされていない。次々と演者が出てきて自分のパフォームを済ませて去っていく、その繰り返しにしか見えない。最低なのがカンペ見ながら考えなしに大声出せば熱唱しているように見えるだろう、って雰囲気見え見えの、三代目魚武 濱田成夫(こいつ最低やな)、それから天国の英五さんには悪いけど、あなたの息子の翔馬クンのパフォーマンス。
英五には三人の子供がいて、長女のあみる、次女のアナムはなかなか(いやあ、あみると押尾コータロー、アナム&マキと山崎まさよしのセッションはこのコンサートの白眉と申せましょう。文句なしにすばらしかった)のステージを見せてくれたのだが、息子の翔馬クンはあまりにも稚拙。見ててがっくり来てしまう。英五の死後、娘のあみるが中心になってこのコンサートは続けてこられたわけで、そこにはいろいろ苦労もあったと思うんだけど、最後のコンサートで、なんつーかな、英五の功績を強く想起させたいと思ったことが逆目に出て、逆に河島家マンセーコンサートかいこれは、と邪推したくもなってしまうんだよな。
繰り返しますけど、このコンサート自体の存在意義を否定する気はないのですよ、でも、コンサートの主催者の希望なのか、地上波で放映した関西テレビの意向なのか、なにかこう、テレビで見てると「つまんねえことやってるなあ」と思えちゃってね。
実際に会場でコンサート観た訳じゃないので、テレビで見ただけで言ってることなんでもしかしたら実際にはもっともっとすばらしいコンサートだったのかも知れないのだけれど、テレビで見る限りは、ずいぶん譜抜けたコンサートだなあ、というのが一番の感想だったりして。このコンサートは、誰に向かって「復興」を謳ってるのか、そのあたりが妙に曖昧に感じるのですよ。河島英五が「最低10年は続けたい」と言ったから今年までやってきた、と? それはそれですばらしいことだけど、「復興」を考える時に、単に「復興」という旗幟だけをことさらにありがたがって打ち振るのでなく、時の流れに応じて今年はこの分野を考えよう、来年は違う分野から見てみよう、みたいな思考の柔軟性が欲しかったなあ、という気もするわけで。
素人の手弁当から始まったイベントにそこまで要求するなよ、といわれるとそれまでなんだけどね。
終日頭が痛く、胃の具合が悪い。昨日は天狗→釜山まではいつも通りだったんだけど、早めにお開きになったのでついついたちきやに寄ったのが悪かったかなあ。しかもお客が私の他には2名の若人だけで、「キューティーハニー見てきたっす」つーたら「どーでしたどーでした?」と聞いてくるんで、そこからアニメ談義で結構盛り上がっちゃったりして。昨日呑んだのは「清吟」、「石鎚」、「雪の茅舎」、「梵 ときしらず」。今回のお酒は、どれもしっかり系、って感じかな。
それにしてもいい酒呑んだのにどうして翌日残ってるんだろう…。ああ、そういえば帰ってからさらにトリスのドラえもんワンフィンガーを一杯飲んだんだった。それのせいかー(愚か者)。
スタッフ
監督:庵野秀明
脚本:高橋留美・庵野秀明
原作:永井豪
音楽:遠藤幹雄
製作:加賀義二・加藤鉄也
プロデューサー:甘木モリオ・川端基夫
出演
佐藤江梨子
市川実日子・村上淳
及川光博・片桐はいり・小日向しえ・新谷真弓
嶋田久作・吉田日出子
松田龍平・京本正樹
手塚とおる
篠井英介
公式サイト:http://www.cutiehoney.com/
一年前の事故で一度はその命をなくした如月ハニー。今彼女は、亡き父が残したiシステムの力を借りて、アンドロイドとして生まれ変わった。あらゆる生命を活性化させるiシステム。その力は、彼女に愛の戦士・キューティーハニーの能力ももたらしたのだ。だがそのiシステムを密かにつけ狙う邪悪な集団が、動きはじめていた。秘密結社パンサークロー。如月博士亡き後、ただ一人iシステムを理解する科学者、宇津木博士が狙われている! 出動だ、キューティーハニー!! …ってお腹がすいてちゃ変身できないしー。
なんだかよくわからんカリスマ庵野秀明が放つ、ノンストップ痛快無責任アクションエンタティンメント。なんせほら、キャシャーンがアレだったもんだからね、やっぱアニメを実写化するってのは何かと難しいよなあ、あんまり期待できないよなあ、まあ庵野監督だしオタク的には楽しめるシーンとかがちりばめられてたりしたらそこそこ楽しめるかな、ぐらいの気持ちで観に行ったのだけれど、どうしてどうして、ちゃんと作られた映画は観ていて楽しい、と言うことを今さらながらに思い出させてもらえる作品になってた。傑作とは言わんがこれはこれで佳作であろう。非常に、なんというかな、気持ちの良い映画に仕上がっていてそこが好き。
比較しちゃあいけないのかも知れないけれど、やはり映画を作ってきた人の作る映画は安心できる。時間の経つのが早い。一気にエンディングまで突っ走り、終った後に(いい意味で)何も残らない、そんな映画。スタッフ、キャスト共、誰も彼もが楽しそうに映画に関わってる、ってのがこちらに伝わってくるような映画で、これは徹底的に計算された悪趣味に翻弄される「キル・ビル」とか、(古い話になりますが)見たくて見たくてしかたのなかった映像を次々とたたみかけてくれた「スター・ウォーズ」(のいわゆるエピソードⅣ)とか、その世界観に圧倒された「ブレードランナー」や「マトリックス」(一作目限定)とは、またちょっと違った気持ちよさを味あわせてもらえたわけで、それは、妙な話なんだけど私が昭和の東宝特撮を愛でる感覚に近いモノ、ってあたりにとても近いものだったが故のうれしさ、だったのかも知れない。手作り感覚、と言っても良いし、計算づくのチープさを楽しむ感覚、と言っても良いかな。豪華絢爛、ハイ・クオリティなCGIを次々とたたみかけながら、いっかな話が先に進まない例のアレと比べたら、映画を観る気持ちよさが格段に上なのですよ。なんだかんだ言って大したもんだよ庵野秀明。そこに微妙な自主映画テイストが残ってたりするあたりに少し引っかかりはなくもない(70年代懐古、の情が監督にあったかどうかはわかりませんが、どうだろ、中盤の70年代彷彿シーンは、それなりにあの時代の覚えのある私には、懐かしいような、こっぱずかしいような気分がしてしまいましたよ)んだけど。
その上で、永井豪作品が常に内に秘めてるはずの淫靡なところやある種の容赦のなさとかが、あまりにもあっさりと抜け落ちちゃってるあたりで、庵野秀明という人は基本的にマザコンな人なのかなあと思ってしまったり、特殊効果の神谷誠の仕事が、それはキミ樋口組だろー、と思えてしまう芸のなさだったりするあたりに少々惜しいなあ、と思ってしまったりもするのだけれど、個人的にはまあいいか、と言うレベルではございます。私、永井豪作品でドキドキしたのってこの作品の前の「あばしり一家」の「菊之助幻想編」だったりするんで、免役出来てた分、「ハニー」は割と軽い気持ちで見てたのかも知れないから、そう思うのかも知れないけど(このあたりは唐沢日記の04/4/8を乞御参照。ちなみに私は庵野氏がノーマルなオタク
である故に唐沢氏の言う"濃い"設定を無視したんではなく、単純に自分がそうであって欲しい女性と、その女性に敵対するものを考えたらああなっただけなんではないかなーなどと思ってます。マザコン少年の理想の女性像が、無垢なハニーと仕切りタイプのなっちゃんだったんじゃねえかなあ、みたいなね)、どうだろ、入れ込み具合が少なかった分、こういう「ハニー」もこれはこれでありかなあ、と、割と安直に納得してしまったことでした。
予想をはるかに超えていい感じだったハニー役のサトエリ、さりげなく脇を固める吉田日出子、ちょっとお肉つきました? な手塚とおる、最初誰かわからなかったんだけど存在感ありまくりの片桐はいりがすばらしく印象的。京本正樹はまあ、あの人はあんなもんでしょ。フジ隊員やれて良かったな(^^;)。怪演野郎、及川ミッチーはハマりすぎてて逆にイマイチ。んでも最高だったのは心底うれしそうな永井豪の顔だったりして。あとはあれだ、スチルなどでは素肌だったハニーのコスチュームの一部が肌色スーツだったのがちょっと残念だったなあ、とそんな感じ。いや、なんだかんだ言って楽しませて頂きました。
じゃっ!(お気に入り)
(★★★★)
□ 昭和の魂 [溶かした絵の具を合成して煙と言い張る特撮がそう思わせた面もあるのではないでしょうか>東宝]
Happy Hacking Keyboard Lite2 日本語配列<かな無刻印モデル>。むうん、微妙に微妙。指先はすっかり英語キーボードに馴れちゃったんだけど、これはこれで魅力的だよなあ。あの、クソ邪魔なところにカーソルキーがなければ、良いキーボードなんだけどなあ。
タイトルは「ドールの子」。例によって生ものなので急いで読む。前半はあらゆる人びとから愛想つかされるマリウス(つoT)、後半は壊れ具合がさらに一歩進むイシュト、と言うお話でそれ(お話の流れ)自体は特に文句はない。けど、基本はバカだけど譲れない一線のあるマリウス、という、その線はいつの間にない話になりました? いつの間にミロクのおねーちゃん(アリサだっけ)はそんな毒婦キャラすれすれになりました? 「売国妃」がそれでは火曜サスペンス以下じゃねえんですか温帯、とかまあ言いたいことはそれなりに、なくもない。無いけどまあいいや、後5冊の辛抱だ。
最近、ホントに今読んでるこれが、学生時代に読んでたアレと同じシリーズだとは思えなくなってきてしまっているなあ。泣けるね。
学校に出かける前の倅に「相談がある」などと起される。カミさんには聞けないことなのかな、もしかしてパンツに変なシミ…ってトシじゃあないしな、もう、などと思いつつ話を聞いてみると、ケータイに知らんサイトの利用料金を払え、つーメールが来てたんだそうだ。で、どうしたらいい? と。ありがちのアレですね。
「ホントに行ってみたのか?」「いってない」 結構。それなら無視して構わんと言ってやったらホッとしたようであった。
この手の利用料金請求詐欺、ちょくちょく話題になるのに被害者が後を絶たないのは、やっぱこういうことにいきなり直面しちゃうと、冷静さを失う人間もいるってことなんだろうな。ま、身に覚えがないんなら、どーんと構えておればよろしい>倅
それにしても。
そういうわけでいつもより2時間ばかり早く起きる羽目になってしまったのだけど、なんだろう、いきなり倅が「相談が…」とか言うので脳の一部が活性化されでもしたのか、倅に心配しなくて良い、と説明してはぁやれやれともう一度布団にもぐり込んだんだけど、全然眠れないのであった。人間の生理っつーのはそういうもんなのかな。
しょうがないので起きだして、今日の分の発送準備を済ませ、小降りのうちにと思い家を出た…ら本降りになってるし。
そもそも人口3人の我が家に雨傘が2本しかない、と言うのが根本的な問題なわけだが。
ふうむ、水曜と木曜の日記へのツッコミ、匿名さんと昭和の魂さん、と言う方からのものだったのだけど、それぞれ別の方なのか、同一の方なのかはわかりようもない。ただ、二日にわたって水に絵の具をとかしたものを撮影して煙と言い張る
ことへの言及があったというのはどういうことなんかいな、と。ま、一応長めにコミットしとく。
私自身は結果が重要なんで、手段なんてものはその結果に一番向いてるものを採用すれば良いだけのことだと思ってます。監督が望む結果が得られるのであればパーティクルを使おうが水槽に墨汁を垂らそうが、そんなものは監督の勝手であって、21世紀になったからと言って、使っちゃいけなくなった手法、なんてものはあるはずがないと思っているんですが。監督が望むもの、というのは純粋に監督の美意識であることもあるだろうし、そのカットにかけられるお金の多寡ということもあるだろうし、と言うのも踏まえて。敢えて手作りクサい効果を狙ったのかも知れないし、時間の都合があったのかも知れない(まあ監督が監督だから、狙ってる可能性は高いけど)。で、それはそれとして水に溶いた絵の具を煙と言い張ることであの映画、なんか問題ありました? というかそもそも、誰が言い張ってるんですかそれ? どこかでそういう騒ぎでもあったんでしょうか? そこは知りたい気がする。
なお、うちのお客さんはおわかりと思いますが、わたしゃ「ロード・オブ・ザ・リング」の一本目を見て続きを観る気を失い、「トロイ」の予告編の海原いっぱいのお船の絵を見て観る気を失った反面、東京タワーに巣を作ったギャオスの夕景を見てしびれ、テトラを探すユースケたちの頭上にぽっと光った一番星(全然特撮じゃないけど)を見て涙が止まらなくなる人間でございます。CGIのすばらしさを微塵も否定する気はございませんが、それとは別に映画を造る現場には、時として映画の神様みたいな存在がやってくることがある、と、割と信じている方でありまして、パーティクルでもりもりと立ち上る煙に神様は下りてこないけど、水槽にたらした墨汁だったら、もしかしたら神様がちょっと力を貸してくれることもあるかも知れないな、と思ってる人間ですんでその辺はよろしく。
じゃっ!
全然気付いてなかったんだけど、3/16の日記にすごく不可解なツッコミが入ってるのを発見。書き込みが4/28ってのもかなり謎だけど、その内容もさっぱりイミフメ。そもそもなぜにうちの日記にこういうツッコミが入るんでしょうな。
岡田准一さんへ ぼくたち 森田剛・三宅健は はばたきに行ってきます
坂本昌行さんへ ぼくたち 井ノ原快彦・長野博も はばたきに行ってきます
トニセンもカミセンも空中分解一歩手前、とかなんですかね? んでも行ってきます
、つーくらいだからまた戻ってくるようにも見えるし。なんなんだろ、これ。ちょっとググってみたけどさっぱりわからん。V6でなんかあったんですか? なんかご存じないですか、ひかり若奥様、ねね女王様、こっこ姫あたりの皆様におかれては。
土曜深夜のアニメは7月までお休み(サッカー、なのかな?)、ということで「特捜戦隊デカレンジャー」、「仮面ライダーブレイド」、「ふたりはプリキュア」。あり? 「スーパーヒーロータイム」じゃなくなったんですかい? それはともかく。
「デカレンジャー」は京都編(#18 サムライ・ゴーウエスト)。んー、弾けっぷりでは「アバレンジャー」の京都編のほうが楽しかったかな、ってところ。あと、序盤で新撰組には詳しい、と言ってるセンちゃんがバンバン君のご先祖様を知らない、と言っているんだから、ご先祖様はなぜに歴史に残っていないのか、を、どんな形でも良いから説明して欲しかったですなあ。
「ブレイド」は今週(#21 友を思う戦い)はいろいろ見所があるっちゅーかなんちゅーか。ライダーになるには、やっぱり特訓が必要になるんだ、と言うことがわかりましたよ。常人よりは多少長く、生身でもアンデッドと闘えるのも、厳しい鍛錬のたまものだったのね、あはは(なぜそこで笑う)。その他、睦月くんが「光を守りたい」とかなんとか、あんたはウルトラマンかー、みたいなセリフ口走ったり、やっぱりいわくありげに出てきたキャラがさくっと退場したり、それなりにめまぐるしかったですな。めまぐるしいだけだったけど。
さてちょっと真面目な話。
「ブレイド」のヒーローたちの行動原理というのは、どうやら「守りたい」と言う意志のようで、それ自体は構わない。剣崎くんは幼いときに焼死する両親を助けられなかった、という思いがあるから。これはかなり動機として強い。もう少し見てる方にそれを思い出させて欲しい気もするが、まあいい。始さんは、何かと謎を秘めている自分を家族同然に受け入れてくれる、栗原家の親娘を守りたいと思うに至った。これもかなりいい。ダディヤナさんは守りたかった恋人を失って、これから何をしたらいいのか分からんので、とりあえず後輩でも鍛えてみるかー、と思ってる。まあいいや、それでも(^^;)。
さて睦月くんは、赤ちゃんの時に誘拐に巻き込まれ、コインロッカーに閉じこめられちゃったという暗ーい過去を持っている。その、コインロッカーが開けられ、光と一緒にうれしそうな人びとの顔が見えたことが、赤ん坊の頃の記憶に強く残っている。だからそんな笑顔の人びとを守りたい、と思った………。
右と左が繋がらないんですが、それ。
平成ライダーの特徴、といえそうなんだけど、毎回ヒーローがヒーローであるための動機、ちゅうのが弱い気がするんだけど、これはどういう意図があってのことなんであろうか。今時アツいヒーローははやらないよ、と? これからはヒーローもナチュラルだよ、と? それならそれでやりようもあると思うんだけどなあ。変な風にナチュラルさにこだわるから、主人公たちがなんで毎週怪人と戦ってるのか、わかんなくなって来ちゃうんだけどね。話に凝るのは自由なんだけど、仮にも命がけで戦う人たち、命をかけるに値する動機、ちうのをもう少し、強めに描いてくれても良いんじゃないかなあ、と毎年思ってたりするわけなんでした。
おっと忘れてた、「プリキュア」もちょっと(#20 どっちが本物?ふたりのほのか)。冒頭でほのかが作った香水のネタ振っといて、肝心の二人ほのかでさあどっちが本物、って曲面でそれ(香水の伏線)が通用しない展開を持ってくるってのはなかなか。圧倒的に強いポイズニーねーさんがプリキュアの二人に延々と演説をブつくだりで、「おおむね正論だよなあ」と思ってしまった私は、ちょっとヤバいかもしらん。
実際に実現するかどうかは、まだこれからいろいろあるみたいだけど、近鉄とオリックス合併へ(スポニチアネックス)。カミさん曰く、「んで、泥臭いけどパワフルなチームが残るの? 垢抜けてるけど印象の薄いチームが残るの?」 そうだねえ、泥臭くて印象の薄いチームが残って、ホントに実力ある人間は、どんどん海外に出て行きそうな気がするねえ。何人かはきっとナベツネに買われるんだろうねえ。いやはや。
ペーパークラフトの達人、キャプテン・シライさんが黒鮫号のペーパークラフトを製作中、というのは、うちの日記の4/27のツッコミでも教えて頂いていて、楽しみだなあと思っていたんだけど、何の気なしに今日見に行ってみてひっくり返った。まだ製作途中なんだけどこの完成度! どうみてもバンダイの、あの腐った食玩の300倍は黒鮫らしいぞこれ、ほれぼれする。私がLightwaveで再現しようと思って、なかなか思ったような線が出なくてちょっと落ち込み中の、艦体下部のふしぎなくっつき方をするインテイクあたりとか、すばらしくいい感じなんだよなあ。ちなみに私が途中まで作って投げ出してるLightWave版の黒鮫はサムネールをクリックして頂いたらみて頂けます。悪くない気もするんだけど、なんか違う気もして先に進まないんですわ。
それにしてもいや、これは完成が楽しみです。完成したら教えてくださいね、シライさん。
前日のスピンを引きずったタクのピットスタートから始まって、ヤルノの不可解なずるずる後退、ピット出鼻のタク前の多重クラッシュ、そしてもはやF1終盤の風物詩となりつつあるジェット風船…じゃなかったタクの大ブロウ、とめまぐるしい展開な割に結果はぱっとしないという、まるで仮面ライダーブレイドのようなレースでございましたな。
今のエンジン、ドライバーが無茶な使い方をしたぐらいでそうそう簡単に壊れるものじゃあない、と言うのもわかるんだけど、それでもねえ…。警視庁の優秀な刑事である松井さんはおっしゃってますよ。
おれは偶然も2つまでは許すことにしているんだ。
しかし3つも重なったらこいつは偶然とは思えん、何らかの必然があるんだ。
それはそれとして、今回はスカこいてせっかくのリザルトがフイになっちゃったけど、ウィリアムズの速さは本物なのかな? だとするとBAR、ますます足元が不安になってきた気がするよなあ。
「銭形平次」と「水戸黄門」。せっかく村上平次に馴れつつあるところなのに、来週最終回なのかあ。平次親分の後番組は「子連れ狼」。どうやら次のシリーズが完結編になるようで、ってそういえば最近、復刊された「アクション」で「子連れ狼」の続編、の様なモノが掲載されてるんでしたっけか? したらドラマの方もネタはあるってことなのかも。主題歌が小椋桂バージョンから例の♪しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん、に戻るみたいでめでたいですな。できれば平次親分の新シリーズやるときは、あの松山千春のヘタレた主題歌はナシにして欲しいところで。やっぱ銭形平次は♪おぉーとぉーこだったぁーらぁー、だべさ。黄門様の方はフィーチャリング・アキで「ホーム・アローン」をやってみよー、と言う趣向で、まあまあ面白かったかな、って感じで。
と言うか最近、その後の月曜ミステリー劇場がときどきすごく面白い時がある、つーのはもしかして私、おばはん化が進んでたりするんだろうか、ううむ。
今日の朝刊でもいろいろ取りざたされてた。その中で大阪の市長さんが、赤字の嵩むタコ焼きドームを抱えている立場上、近鉄は運命共同体であると訴え、存続球団として残って欲しい、様なコメントを出してたけど、ここはあれですよ市長さん、せっかく「大阪近鉄バファローズ」を名乗ってるんだもの、ここから近鉄だけ取って「大阪バファローズ」を名乗りましょうや。大阪市にとどまらず、大阪府から資金を援助する「府民球団」として大阪人全員でバファローズをサポートするってのはどうですか。大阪府民全員から"バファローズ応援税"として月100円出してもらってみなさいな。大阪府民、今800万ぐらいでしょ? 納税者がその半数としても月4億ですぜ。一年で赤字解消出来るんちゃうの?
オリックスの方は、あれはせっかく商才に長けた人が経営トップに立ってるんだから、しばらくは手腕拝見、で良いのじゃないのかしらね。
三宮の東、サンパルで開催された「サンパル青空古本祭」 を冷やかしにお出かけ。 web古本屋として、商材としてこれはおいしい、てのは残念ながらそうそう無かったけど、個人的にちょっと面白そうな本があったのでそちらは確保。第二次大戦の日本の軍用車両を要領よくまとめた本があったので購入して読んでいたんだけど、ビルマ戦線で日本最強の主力戦車として活躍したのが、鹵獲したアメリカ製M3"スチュアート"だった、てのはちょっとこう、笑ったらいいのか泣くところなのか、微妙なところではありますな。
日本の戦車のヘタレぶりは今までもしばしば言われているところではあるんだけど、そのヘタレの根幹にあるモノというのが、そもそも軍首脳が戦車には何より高初速の砲弾を撃ち出すことのできる砲を搭載することが肝要だってことを思いつかなかったことにあったのだ、ってのは言われてみればその通り。ドイツではすでに高初速の高射砲を戦車砲に転用する、ってのがごく自然な流れだったのに、日本ではそれを取り入れることができなかった、ってあたりは何かと示唆に富む物がありますな。速度が必要な局面って、日本人には苦手なモノなのかしらね。
□ bongo [weight loss phentermine http://www.network.axe.cc Phenterm..]
グレッグ・ベア 著/矢口悟 訳
カバーイラスト 生頼範義
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ文庫SF
ISBN4-15-011477-3 \720(税別)
ISBN4-15-011478-1 \720(税別)
ハリ・セルダンの首相就任にまつわる事件からすでに40年。繁栄を極める帝国で、セルダンの不吉な予言は徐々にながら人々の口にのぼるようになっていた。政情不安の元になりかねないセルダンの警告に対し、帝国はついに行動を起し、かつては首相の座にあった人物に法廷での釈明を求める。同じ頃、セルダンの予言とは別のところで、今ひとつの政情不安の元が、密かに帝星トランターの下層部でその動きを興そうとしていた…。
さて今回のお話は、「銀河帝国の興亡」(1)の第1章、「心理歴史学者」のエピソードの中に組み込まれる物語。結果的にこのまえ、早とちりしてこの本を読んでおいて良かったよ。ガール・ドーニック、リンジ・チェン、懐かしい名前がいっぱいだ。その中で語られるのは、前作が心理歴史学的アプローチで試みる人類文明の敷衍、だったとしたら、こちらはアシモフのもう一方の看板シリーズである「陽電子シリーズ」へのベアなりのアプローチ、ってことになるのかしら。人類とか未来とか文明とか、小難しいことをセルダンの内省で延々考察しまくったベンフォードに対して、ベアは考えなければならない材料を、短い章立てで、かつ、さまざまなキャラクターたちのお芝居で組み立てながら、おなじみ「ロボット工学三原則」プラス「第零法則」とロボット、そしてロボットと人類の関係についてを語っていく。この辺の持って行き方が実にテンポ良く進む。早い話がベンフォードに比べてベアの方が、小説の作り方が上手いんだな。
ロボット工学の三原則、さらに長い歴史の中でロボットたちが自ら課すに至った第零法則をもって、表向きは存在しないはずのロボットたちが人類とどういう関わりを持っていくのか、その流れの中でR・ダニールに代表されるロボットたちとは別の意志を持つに至るロボットたちの登場、さらに前巻で登場した模造人格、全く異質の情報生命体、とでも呼ぶべき存在と、その存在たちの影響で三原則に縛られない存在のロボット、なんてものまで関わってきて、ロボット側の変化というか進化の部分はかなり興味深く読める。"ロボットの魂"の物語として、このお話、かなり興味深い訳ですよ。人類がロボットというものをある程度拒否してしまったことで、「ロボット工学三原則」がなんの改訂も加えられないまま2万年近い時が流れた世界、その中でその存在を隠しながら、長い時を経て進化してきたロボットたちの人類に対するありようを描いた作品として、これはちょっといい話。あまりにも長い時を三原則の制限の中で、それでも進化を遂げてきたロボットたち、と言う存在には一抹の哀愁を感じてしまいますわ。
そこはいいんだけど、あれですなあ。ロボットたちですらこれだけの進化を遂げているというのに、人間の方は1万年経っても2万年経っても、これは、と言えるような進化を遂げていないのが少々哀しいですな。
(★★★☆)
と学会 著
カバーイラスト サイトウユウスケ
太田出版
ISBN4-87233-848-0 \1480(税別)
毎度おなじみトンデモな本で楽しむ本。アポロは月に行ってない? ガンプラオタクはシンナーで脳味噌溶けてる? アトムのブーツはルーズソックスを予言していた? コンサイス英和辞典が暴く日本語の秘密… その他脱力失笑ネタ満載。
というわけでこれはまあ、世の中の妙な本の変なところをおもしろおかしく解説する、と学会会員諸氏の芸を楽しめばいい本なワケだけど、そこはそれ昨今のwebの浸透ぶり、いくつかのネタが本になる前に読めちゃったりするあたりは少々もったいないかも。あと、ご自身の日記でもしばしば東浩紀をくさしてる唐沢さん、本書でも一章を割いて東批判を展開してるあたり、唐沢氏的に東浩紀のどのあたりがそんなに気に入らんのかなあ、などと考えてみるのも一興かな。まあオレも模型の話してるところに、ガンプラしか作ったことのない人間がいきなりやってきて、ガンダムマーカーの革新性を滔々と述べられたらば、そりゃやっぱりいささかムッとするとは思うけどな(^^;)。
気になると言えばもうひとつ。上に書いたような引っかかりはあってもさすがに唐沢俊一、それなりに品格を保ちつつ、読者をオモシロがらせてくれるあたりの芸風というか筆力はさすがなんだけど、筆者によってはwebのBBSへの書き込みとなんぼも変わらんような文体を持ち込んできてるのはどうしたもんかなあと思ったり。面白ければなんでもありではあるけれど、「本」としてのありようみたいなものにもう少し神経を使ってくれても良いんじゃないのかな。芸風として、あまりに安直な方に流れて行っちゃってる気がしないでもないな。
(★★★)
CS スター・チャンネル クラシックで「1941」。1979年アメリカ、監督スティーブン・スピルバーグ、出演ダン・エイクロイド、ジョン・ベルーシ、ネッド・ビーティ、ウォーレン・オーツ、クリストファー・リー、三船敏郎。
ご存じスピルバーグの大コケ映画。真珠湾奇襲のニュースに言いしれぬ不安を感じる西海岸の住人たち。次に日本軍が攻撃してくるのはここかも知れないのだ。果たせるかな同じ頃、カリフォルニアの沖合には一隻の日本の伊号潜水艦のシルエットが…
今回放映されたのは劇場未公開部分30分を追加した特別版。って劇場で観てないのでどの辺が追加された部分なのかわからず、逆にスラプスティク映画で147分ってのはなんぼ何でも長すぎへんかー、などと思ったりもして。この、間延び感が何とも惜しい。90分ぐらいで突っ走ってくれたらかなりげらげら笑えたような気がするんだけど。劇場公開版も115分ってことだから、やっぱり間延び感があってこの映画、コケたんじゃあないのかな。
そこらあたりを脳内で斟酌した上で観ると、勘違いの積み重ねと、マズいところにマズいキャラがいたばっかりに、騒ぎが必要以上に大きくなっていく、というドタバタ喜劇の王道を、映画大好き少年がたっぷりのお金をつぎ込んで作ったド派手な映画、ってことでそれなりに楽しめるんだけどな。三船敏郎が妙にテンション高い芝居しててうれしくなっちゃう(でもこの映画を蹴ってたら、オビ・ワンやれてたのになあ、と思うと微妙に残念でもあるけどね)。
でもやっぱり147分は長すぎ。
茄神さんの日記経由で、オレの奇妙な留置所 ストーンオッサン。詳しい事情はわからぬが、酔って何らかのトラブルに巻き込まれ、留置所生活を送る羽目になった若人のレポート。うむ、オレも交番までは行った憶えがある(いや、ない。酔っていたので憶えていなかった)。いつこういう境遇に置かれるかわからんのだ。と言うわけで大変興味深く読ませて頂きました。とりあえずライトノベル好きは、留置所に入っても退屈しないで済みそうだな。
埋め立て中のグスレで知ったグイソ占い。おののきつつ、やってみた。
乱土 労馬さんは マリウス です!
マリウスさんは、とても優しく、柔らかなムードの持ち主。柔軟性に富んでいて、どんな人でも受け入れられる、懐の広さを持っています。話上手な上に情報収集にも長けているので、あなたとの会話を楽しみにしている人も多いはず。グループのリーダーではなくても、あなたの周りには常に人が集まっていることでしょう。ただ、持ち前の柔軟性が、時として器用貧乏になってしまうことも。特に仕事面では、どんなものでも一定のレベルまでこなせてしまうからこそ、かえって定職につきにくい傾向があります。そんなときは、最も興味のある分野のスペシャリストを目指してみて。恋愛面でも柔軟性が移り気に変わらなければ、素敵な人と楽しい恋を育んでいけます。
乱土 労馬さんの開運物まねは、ケント・デリカットです!
………いいんだ、気休めを言ってくれなくても。陰でみんなが僕のことをなんて言ってるか、僕だってわかっているのだからね。最近じゃあタヴィアまで、僕に愛想を尽かしたようなことを公然と口にしているのでしょう? ああ、僕はやはりこんなところにいるべき人間じゃなかったんだ。
出奔してやるー
サイコドクター風野さんのぱど厨関連記事。リンクした記事から、その後も観察は続いている。非常に興味深い、と言うかある意味薄気味悪くて近寄れない世界だな、と思ってしまうのは、私がすでに旧人類に属しているからなんだろう。ここでのメッセージのやりとりとか、符牒化しつつある文字スタイルとか、公開が原則(だよな?)のwebで仲間内の会話に興じ、他者の目をいっかな気にとめない姿勢、てのは、あれですね、電車の中で平気で化粧するおねーさんとか同じく電車の中で平気で飯が食える若人とか、そういうのの延長線(あ、延長じゃないか、さらに若くなってるんだもんな)上にどういう連中が登場するか、って考えたら、ある程度しょうがないところなんだろうな、とは思う。思うけどやっぱり薄気味悪さは消えないわけだが。
無責任で扇情的でいい加減だけど、その中に一縷の善意と真理も潜んでいる(時もある)2ちゃん的web文化を経て、今の日本のwebは、無責任でいい加減で、よそ者お断りのぱどタウン的文化に、ゆるゆると移行しつつあると言うことなのかしら。本来オープンなはずのwebの中に、やたらとクローズドな世界ができあがりつつある、って言うのは、これはなんなんだろうね。こういうの、SFでもお目にかかった憶えがないなあ。
田中啓文 著
カバー 小松藤茂(ってだれやそれ)
ハヤカワ文庫JA
ISBN4-15-030762-8 \700(税別)
革新的戦争文学、「蹴りたい田中」で第130回茶川賞を受賞し、一躍時の人となるも、その後ついと消息を絶ち(行方不明の父の探索に出かけた、と言われる)現在もなお消息が掴めぬ伝説的作家、田中啓文。彼の残したいくつかの作品と、山田正紀、山岸真、北野勇作ら、彼とゆかり浅からぬ作家、翻訳家らの寄稿で構成された決定版遺稿集…ということにしておこう。
あーもう、バカだ。で実際のところ終っちゃう本だよねえ。「銀河帝国の弘法も筆の誤り」同様、全編これダジャレとどろどろ、ぬちゃぬちゃ、げろげろのオンパレード。こういうの嫌いな人には絶対受け入れられないタイプの本だろうな。次はどういうダジャレかましてくれるのかな? を楽しみに読み進めていくとそれなりに、というかかなり楽しめるんだけど。でもこのダジャレ、20代の読者の方とか、ちゃんと全部わかるんだろうか、などといらぬ心配までしてしまったりして。
ただし、「本」として見てみたときに、天才作家の遺稿集、の体裁を取ったダジャレの嵐本、と言うこのスタイル、うまく行ってるとは思えない気もする。なんて言うか、企画会議では「それだー!」でみんな大喜びしたものが、できあがったの見てみたらなんか今までのと変わりばえしねえなあ、なゲームソフトだった、様な感じ?(語尾上げ)。ゲラゲラ度、なら前作の方が上だったような気が微妙にしないでもない。予想もつかない方向から攻めてきて、いつの間にか下らんダジャレにつき合わされている、その落差は大変に楽しいのだけれどもね。
そんなわたしのツボ直撃だったダジャレはこれ
「この赤い砂は、かわっておるのう」
老人の問いに猿面男が答えた。
「硫化水銀を原料にしたもので、三途の川特有の砂です。この独特の朱色はバーミリオンという名前の色です」
「ふむ、バーミリオン・三途というわけか。名著じゃがなかなか復刻されぬのう」
わはは。古本屋的にはおいしい商売させて頂きましたが(^^;)
(★★★)
結局見ちゃった。眠いよう。
さて予選は一回目にちょいと紅白のマシンがシングルグリッドにマシンを入れて見せて少しばかり期待を持たせてくれたけど、二回目はキレイに赤二台、白二台、青二台、のグリッド。ミハエルはもう、予選では無理せず決勝で勝つ、作戦で行くのかな、な感じで2位、ルーベンスがやたら元気よくポール。タクがジェンソンを上回って3番グリッド。この結果で喜ばないワシ、ちゅーのはまあ、タクの前科(^^;)を差し引いても、それだけの能力は当然、と言うドライバーになったと言うことなんでしょうな。ジェンソンは二回目、タクのセッティングを参考に多少弄ってきたのが裏目に出て、あまりタイムが伸びなかったらしい。
なんにせよBARの2台の後ろがルノーじゃなくウィリアムズ、てのはある意味明るい材料かも知れない。よほどのミスをしない限り、すんなり3位、4位で序盤をキープ出来れば、タクにもジェンソンにもチャンスがあると思うんだけど。
さて決勝はどうなるかな。
琢磨表彰台キター!!!。ミナルディ初ポイントもめでたい。あとはセイフティカーが引っ込んだ直後のミハエルの追い抜きだなあ。あれ見てBARはジェンソンとタクをピットに入れなかった(どーせミハエルはペナルティ食らうと踏んで)んではないかと邪推したりするんだけど、ここはどうなるのかな。フェラーリだとお咎めなしだったりするのかしらね。
それはともかく、タク良かったなあ。おめでとう。
ビデオでもう一度鑑賞。スタートのファンパブロのドタバタ劇、マシン一台分の間隙が産んだように見えるフェルナンドの超絶的なスタート、そして多重クラッシュ、ミシュランユーザの肝を冷やすフェルナンドとラルフの連続バースト、とまあ盛りだくさんの序盤。そんな中。救急車で運ばれるラルフにスタンディング・オベーションを送るアメリカ人にちょっと感動。こいつら、レース好きなんだな、レーシングドライバーを愛しておるなあ、と言う感じでね。
そこからあとは、完全に今回はタクが主役でしたなあ。ばりばり追い抜きは見せてくれるわ、唯一ミハエル、ルーベンスに匹敵するタイムを叩き出してくれるわで見所ありましたな。
あとは作戦ですかね。最初に立てた作戦を柔軟に変更できないっぽい感じがしたなあ。第1スティントを引っ張るのは良いけど、アクシデントの影響もあるんだし、第2スティントを重く、第3スティントを軽くしていたら、もっとフェラーリのケツに近いところを走れていたんじゃないかなあ、という気はしないでもない。まあタラレバー定食な話ではあるんですが。次回は7月のフランス、英国2連戦。シルバーストーンあたりで、もう一段(もちろん二段でも)上に上がって欲しいもんですな。
いや、正直吹かないでーってぐらいの風。6月に台風上陸ってのは何とも珍しい。しかもかなり強力だ。倅が学校行ってないもん。神戸の方じゃ昼頃が雨風のピークで、14:00過ぎたあたりからずいぶん収まってきたかな、って感じにはなってたけど、おかげで「暴れん坊将軍」の再放送が台風特番に差し替えられちゃってた(つoT)。
14:30ごろに、もう大丈夫だろうと思って商品の発送に出かけたんだけど、ちょっと見通し甘かったね。家を出た直後から雨が降り始め、郵便局を経由してスーパーで買い物済ませたあたりから、風もまた吹き戻しが始まって、安物の傘の骨をぐにゃりと折り曲げてくださいました。とっほっほ。
島国大和 著
毎日コミュニケーションズ
ISBN4-8399-1549-0 \1500(税別)
われらが島国大和アニイが赤裸々に、でも真摯に綴るゲーム業界の真の姿。華やかで、スマートで、いかにもエッジな世界に見えるゲーム業界、その内幕はいかがなものか。漠然とゲーム業界に自らの進路を定めちゃってるあわてんぼな若人は必読の一冊。
まあなんですよ、私もゲーム業界では15年ぐらい飯を食わせてもらっていたものですから、ここで島国さんが書いてることのいくつかは「ほんとにそうだよなあ」と深く頷き、いくつかは(おっそろしいことに)「島国さん恵まれてるなあ」と思いながら読ませて頂きました。私が身を置いていた世界は、島国さんのミニマム・リクワイアをさらに下回る、1プロジェクトに割ける人員が10人以下、って環境だったもので、そりゃもうあれです、ゲームを作るスタッフの役割分担というのがプロジェクトリーダー兼渉外兼企画者兼グラフィッカー×1、プログラマー2〜3、サウンドは外注、なんて世界がざらだったもので、ある程度でもプロジェクトの体裁を持ったままで仕事ができている(ように見える)島国さんの環境、正直うらやましいなあと思ってしまうわけです。
ま、下を見たらキリがないのがこの業界なんで、いっても詮ないことだとは思うし、この本で島国さんが書いてる内容は、ほぼ、今ゲーム業界に飛び込んだ若人が直面するであろう事を、すばらしく正確に、かつ容赦なく描写していると思う。甘い気持ちで「ゲームクリエイターになりたい」とか思ってるスカタンは読んでおくべき本です。言っておきますが現場は島国さんが書いてるこれより、まだむちゃくちゃな可能性もあります。
そのうえで惜しいなあと思うのは、この本、出るのが5年遅かった。ゲームバブルがおさまり、これからゲームの世界がどうなるんだろう、って心配がいっぱいだった(心配だったのよ。ついでに私はそのあたりで、自分はこれ以上ゲーム業界でやっていけないな、と思いはじめた時期でもあります。出来の悪い人間(オレみたいに)はゲーム業界にしがみついちゃいかんです)時期にこの本が出ていれば、一般の本としても楽しく、かつ業界に対する警鐘になりうる書物になったかも知れないのにな、と思えてしまうあたりが少し残念なのでした。
(★★★)
唐沢なをき「新・電脳なをさん」(1)。やれやれ、ようやくゲットだぜ。この手の本は神戸の山奥ではまず入手出来ないんだよね。紙質を少し落としてお値段を少し抑えて「新」としたもののようで。
何はともあれ相変わらず濃いな。元ネタ全部わかる読者どれぐらいいるんだろう。ワシもわからんネタ、たくさんあったですがとりあえず、ますむら、諸星と来たら次は星野でしょう
でヤヤウケ。ますむらひろしを手塚賞作家の括りに入れてくるあたりがマニアックですな。確かこのときって、筒井康隆が「猫の毛一本一本を丹念に描き込んでいる。こいつはただもんじゃない」とか言う理由で強力に推した、とか言う話を聞いたことがありますが(^^;)
朝から真面目にお仕事中。誰かは知らないがデザイナーを名乗る人なのか、企画者を名乗る人なのか、そんな御尽が作ったサンプルHTMLを元に本番用のHTMLを作っていく仕事。ブラウザで見たらせいぜいA4で4枚程度のコンテンツなんだけど、なぜかHTMLファイルは400Kb近い。秀丸で開いてみて卒倒する。WORDで作ってやがる。
WORDの吐き出すHTMLって初めて見たけど、ひでえね。あらゆる要素がご丁寧にさらに"span"で括られてて、その中に微妙に違う文字サイズ情報だの行送り(ある時はポイントで、またあるときはミリ単位で)だのがちりばめられてる。しかもなんかこう、開くタグと閉じるタグの数が合ってない感じがするし、独自の記述満載だし。これだったらPageMill 2あたりで作ったスカタンなHTMLの方が、よっぽど仕事楽だよなあと思っちゃった。
こんなもんまともに当たったら時間がいくらあっても足りんと思い、GoLiveに喰わせてみても、読み込み途中でGoLiveも沈黙しちゃうし(つoT)。
弱ったのう。こりゃ一から作り直したほうが速いか知れんのう。私、この日記で悪態つくことはあってもクライアント様には文句言わんのですけど、さすがに今回ばかりは「WORDだけは絶対使わんでくれー」とメールしたですよ、ふんとに。
と言うところでもうちょっと、目鼻が付くまでお仕事お仕事。
ということで寝る前に作業の段取りのとっかかりだけでも付けておこうと思って久しぶりにGoLive CS(以下CS)立ち上げてちょこっと作業。GoLiveを使うと言うことは、時間がなく、かつテーブルレイアウトの嵐になることが予想されるコンテンツなワケなんだけど、はて、なんでCSは文字コードEUCを読めないのじゃ? 文字んとこが全部ハコになっておるぞ? Ver 6.02はちゃんと読んだのに。標準の文字コードをEUCに指定してもレイアウトモードでは読めない。ソースエディタやプレビューでは問題なく読めるんだけど。はて。
いろいろいじくってたら、CSSエディタでフォントファミリーを「継承」にすると文字が表示される、事は確認。でもこの状態でソースを見たらスタイルの設定のところ、
body { font-famiry:継承}
って記述が追加される。なんやそれ。
まあどうせ最終的には秀さんでがしがし書き換えるので、ざっとしたレイアウトができるまでつき合ってくれればそれでいいっちゃいいんだけど、なんか釈然としないなあ。"font-famiry:継承"なんて指定、どう考えてもありえなーい、と思うんだけどなあ。
忙しいのは結構なことじゃがしかし。いよいよこれから、将軍様がばったばったと悪をなぎ倒そうという14時45分に、狙いすましたかのように連日仕事の電話を入れてくださるのはやめてくれませんかクライアント様ー。ミュートして見る殺陣なんて盛り上がらねえこと甚だしいんですが。
グレアム・ジョイス 著/浅倉久志 訳
カバー写真提供 PPS通信社
カバーデザイン 守先正+桐畑恭子
ハヤカワ文庫FT
ISBN4-15-020364-4 \840(税別)
嵐のさなか、妻ケイティーは死んだ。嵐によってなぎ倒された木が、たまたま彼女の車を直撃する、というあまりにも不条理に思える原因で。それを境にケイティーの夫、トムの心の中に妙なしこりがうまれてくる。英国でのそれなりに平穏な教師生活を続けることにこれ以上耐えられないものを感じたトムは、仕事を辞めてエルサレムへ赴くことを考える。そこは生前のケイティーがしばしば訪れたいと漏らしていた地だったのだ…
四度英国幻想文学賞に輝いているという大変な経歴の作家の、これが日本における初めての単行本。ユダヤとアラブが複雑に入り交じり、過去と現在もまた、解ききれない絡まりとなって小さな路地裏にまで澱となってよどむエルサレムという街を舞台に、ひとつの愛の死に直面した人物が、死んだ愛のよすがを求めて下りたった異境で、別れたはずの愛と、分かちがたく、しかし表にはしたくない自らの秘密が精霊(ジン)という不可解な何かとの関わり合いという形で次々と眼前につき出され、そのたびに崩壊の度合いを深めていく主人公、さらにそこに「死海文書」にまつわるミステリがこれまたねっとりと絡みついてくる、という実に英国系の作家らしい念入りな昏さと、血と愛液のねとーっとした感じにまみれたダーク・ファンタジィ。
「エヴァ」なんかでもネタにされてる死海文書だけど、本作ではあくまで、真実と思っていたことが実はその裏にもうひとネタあって、そのネタを暴くとまたさらに新しい謎がうまれて…みたいなこのお話の構造のバックボーンを支えるような役割に徹しててそこは好印象。あくまで本作は、過剰なまでの罪悪感を抱え徹し待った何人かの登場人物たちが自分の立ち位置をもう一度見つけ出すことができるのか、見つけ出せるとしたらそのきっかけはなんなのか、あたりに焦点を絞ってお話が進んでる感じで、それはかなり私好み。ちょっとニュアンス違うけど、私の大好きなゴダードの作品の主人公たちの持ち味にかなり近いモノを、本作の主人公トムは持っているように思える。ゴダードが暴かれていく事実を元に主人公に再起を促すところを、ジョイスは三大宗教のうちの二つのそれの聖地であるエルサレム、というロケーションの特異性が産み出す(昏く、重い)ファンタジックな現象でキャラクターの行動原理に上手いバイアスをかけている、といえるかな。エルサレム、って舞台で「また神様かよー」と思いつつ読んでいくと、実はこのお話、神様もわかるけどあくまで自分をしっかり持とうよ、みたいなところに落としどころがあるお話に思えて、そこも私好み。昏く、重く、ねとつく淫靡さに満ちた世界だが、たまにはこういうのも悪くない。そもそもオレにハヤカワFTを読もうと思わせたんだから、その時点でたいした物だよ(^^;)
ファンタジーと聞いて剣と魔法(のみ)を期待する人にはちょっと辛いかも知れないけど、たとえばピークの「ゴーメンガースト」やムアコックの「グローリアーナ」も、ダークな魅力に充ち満ちたファンタジーだよな、と思える人ならお奨めかも。さすがに私もこの方の作品に今後もついて行けるかどうか、ちょっと自信はないですけど(^^;)。ということで本書のお気に入りの一節を。
「え、まさか? あなたは自分の苦悩と恋におちたんですか?」
「そうなったのはわたしだけだろうか?」
実はこの、"自分の苦悩と恋におちる"ことの、(禁断故の)甘美さこそがこのお話のテーマなんだろうな、などと思ってしまったことでした。
(★★★)
CS チャンネルNECOで「シベリア超特急」。1996年ウィズダム、監督・原作・脚本マイク水野、出演かたせ梨乃、菊地孝典、アガタ・モレシャン、水野晴郎。そこらじゅうで、さんざん言われてきた超カルト映画、恥ずかしながら(いや恥ずかしがらんでも)初見なわけですが、いやあこりゃなんといったらいいのか。とりあえず見る人は見てるだろうからネタバレありで行きますんでそこはよろしく。
んでね、いやもう水野大先生の考えはよーく判るんですよ。限られた予算の中で面白い映画を造りたい(つまらんものをこさえては沽券に関わる)。ふむ、良い前例があったではないか、あの名画を下敷きにすればよい。あとは低予算映画であることを逆手にとって、一種のメタ映画みたいな構造を作ってみてはどうだ。おお、オレって天才。
…で、できあがったのがこの映画だと思うんですよね。あちらこちらで酷評、というか一種のネタ扱いで大盛り上がり大会になるのもまあ判る(つかホントにひどいんだよね)けど、これが「『シベリア超特急殺人事件』殺人事件」であったとしたなら、これはこれで良いセン行ってるんだよなあ。
どうしようもない映画を造ってる現場で起きた殺人事件の秘密がフィードバックする戦争の悲劇、をテーマにしてみせたと見せかけて、さらにもう一段オチを用意する、つーあたりの持って行き方、さすがにたくさん映画を見てきたわけじゃあねえよなあ、って感じで。
ついでに。
水野晴郎って人が、こと映画に関しては実に真面目な考え方してるあたりものほの見えて、そこも好印象なんですよ。でたらめに貧乏なんだけど、真面目なことは真面目だよなあ、と。世間で言われているような怪作、と言うイメージは実はそれほど持たなかったですよ、ええ。
でも貧乏だけどな。それもすさまじく。
まるでセットのような(^^;)イルクーツク駅、まったく揺れない列車、走ってる列車の窓が開いてるのにそよ風しか吹いてこない客車の中、列車の屋根に登っても登場人物の服は全然バタつかない、まるで捕り物映画のようにするすると飛んでいくロープ。それも列車の進行方向に。そして水野晴郎の棒読み………
お話の方も凝りに凝った展開が災いして伏線なんだか不出来なんだか良くわからんシーンが続出、コンティニュイティもどこかおかしい。ええ、ひどい出来の映画なのは確かなんですよ。
ただわたし個人は、ここまで酷評ばっかり目にしてたんで覚悟して見てみたら、そないにひどいこと言わんでもー、と思っただけで、無理してまで見なくちゃいけないってほどのもんではないんで、そこら辺、誤解なきよう。
さて勢いに乗って「シベリア超特急2」も。同じくチャンネルNECOで。今回もネタバレ含みますよ。
2000年アルゴピクチャーズ、監督・原作マイク水野、出演淡島千景、草笛光子、光本幸子、二宮さよ子、寺島しのぶ、加茂さくら、中村福助、尾上松也、須藤温子、長門裕之、安井昌二、竹田高利(コント山口くんと竹田くん)、水野晴郎。あまりに豪華なメンツなので多めに表記してみました。すごいねこのキャスト。
さてキャストも立派なものだが、前作に比べてずいぶん使えるお金が増えちゃってうれしいな感が全編に漂ってて、なんか「良かったなあ」と思ってしまうあたりが我ながら妙だと思いますわ(w。
今回は列車を降りて暴風雨で孤立状態となった満州のホテルを舞台に起きた殺人事件を、今回も山下将軍が見事に解決する、お話。前作もそのオープニングあたりで「オリエント急行殺人事件」を、ものすごく貧乏に再現してみせたワケだけど、今回は一段と「オリエント…」の味わいを持ち込んできてますな。あまりにそっくりなんであれですよ、途中で「これは主人公以外全員犯人パターンじゃな」ってのがぷんぷんして来ちゃうわけですな。まあさらにもう一段、オチは用意されてるんだけど。
お金も増えた、前作の反省もある、水野さんは相変わらず映画に対しては真面目、と言うわけでこの映画、普通っぽさが前に出ちゃってて、残念ながらそこが欠点になっちゃってたりして。判る人には判るたとえですが、前作と比較したときに「デス様」と「デス様2」の様な関係であることだよなあ、とね(^^;)。一点、わたし個人は高く評価してるとこがあるんですが、これは次の話(続くんかい)で書くとして、全体としては真面目に作ったところは評価するけど、豪華キャストながら出来の悪い二時間ドラマ、にしかなってないなあ、と言うとこですな。
と言うわけで実は「3」もぶっ続けで見たんだけどね(^^;)………。
…というわけで。さらにチャンネルNECO、「シベリア超特急3」。2003年M&T、監督・原作マイク水野、出演三田佳子、宇津井健、内藤武敏、アガタ・モレシャン、西田和昭、水野晴郎。さらに使えるお金が増え、冒頭から空撮シーンはインサートされるわメインとなる舞台は(内航用とはいえ)クルーズ客船だわの大盤振る舞い。出演者も相変わらず豪華、監督マイク水野の手腕もさらに上達、安心して見れるサスペンスものになっている、が故に不満も大きい。いや、腐っても劇場用映画で、テレビの2時間ドラマに遜色のない出来のドラマを見せられてもお客はうれしくねーだろう、と、ね。このお話、2時間ドラマ風にタイトルを付けるなら、そうだな、「フラワーデザイナー森裕美の事件簿・瀬戸内豪華クルーズ客船殺人事件! 事件の鍵を握る60年前のシベリア超特急の事件とは? 封印された山下将軍の推理が蘇るとき、忘れられていた戦争の悲劇もまた…」てな感じになりますか。問題なのは2時間ドラマのクオリティってことなら充分に満たしてるんだけど、劇場用映画としての必要条件には足りてないってとこね。いや、列車はちゃんと揺れてるし(おい)、最初の作品から見たらその他の部分もずいぶんとグレードが上がっているんだけど、その反面一作目にあった破天荒ないたずら精神(があったとしての話、な)とか、そういう突き抜けた部分がなくなっちゃってしまったのだね。
そこら辺惜しいと思うし、出来が良くなったとはいえあくまでそれは凡百の水準作のレベルでしかない映画なワケで、一作目から連続でつき合ってなければ、とてもじゃないけど最後まで楽しめたものじゃない映画、とも言えるんですが、実は「2」もそうだったんだけど、水野大先生、意図があってそうやったのかどうかは知りようがないんだけど、実は自分の映画の中でかなりしっかりとしたボーイ・ミーツ・ガールもののお話をインサートしてくれてるわけでして、そういうのに弱いわたくしとしては、くだらねーと思いつつもどこかで点数の割引をやっちゃってたりするんですな。特に梨園のホープ、尾上松也と全日本国民的美少女コンテスト受賞者の須藤温子をフィーチャーした「2」のロマンスがすばらしい。「3」でも田中丈資と大塚ちひろをフィチャーした少年少女のロマンスがちょっと良くって、おおむねしょーもねえ映画なのに、わたしちょっと感動しちゃったりしたですよ。いや、普通に見てたらそこまで行かなかったんだろうけど、なんせ第一作目からぶっ続けで鑑賞しちゃったもんだから、どんどん感覚が麻痺しちゃってねえ(^^;)。
CS 日本映画専門チャンネルで「千年女優」。2001年クロックワークス。監督・脚本今敏、声の出演荘司美代子、小山茉美、折笠富美子、飯塚昭三、山寺宏一。
映画の黄金時代に一世を風靡しながら、突然そのキャリアに終止符を打って行方をくらました大女優、藤原千代子。ひょんなことから彼女の居場所を突き止めた、しがないビデオプロダクションのくたびれた初老の社長、立花は、カメラマン一人を連れて彼女の許へ赴く。立花には、千代子に渡さなければならないものがあったのだ。そして「それ」を目にしたとき、千代子の回想は千代子自らが出演した映画作品のモチーフと微妙に絡まり合い、現実ともファンタジーともつかないふしぎな物語となって語るもの、聞くものを飲み込んで行く………、と言うようなお話。
話題になっていたのは知っていたんだけど今まで見る機会がなかった作品なわけですが、ふむ、なかなか良いね。一人の人間の強い思いが、「現実」に人の思いが産み出したファンタジーを練り込んだ物語で影響を与えていく、と言うストーリーはSFでもあったような気がするんだけど、これはなかなか、愛らしいと見せかけて意外にクセのある作品になっている。恋した人を追い求めるお話が、ヒロインが身を応じた映画の世界とオーバーラップすることで、現実の世界でのタイムスパンが出演映画のタイトルによってその時間の流れがとてつもなく引き延ばされ、追い求める年月の長さが幻想の中で何十倍にも引き延ばされ、その終点に少しばかり切なく、でもどこかホッとするような結末が用意されている、様な映画なのかなあと思って見ていたのだけれど、どうもそういうのともちょっと違う感じ。
自分の体験が自分の出演とオーヴァラップしていく女優の一人語り、その語りをこれまた映像に収めていく作業を進めていく人物の目によって、もう一度、少し違う映画として再構成されていく、それを映画としてワシら観客が見ていく、というなかなか凝った構造になっておるのだね。で、その構造の凝り具合を、映画を造ってるスタッフが気に入り過ぎちゃって、やらんでもいいことまでやっちゃった、というか、ノリが良すぎて最後にあられもないとこまで行っちゃった、様な映画だったかなあ、と。
これ、やろうと思えばオジサンみたいな観客から、もっと盛大に涙腺大放出が期待できる映画に造れてたのになあ、と思う*1んだけど、敢えてそれをしなかったってのは、作り手サイドにどういう意識があったのかな、と考え込んでしまうわけですな。クセ球は結構なんだけど、クセえ話もこれはこれで捨てたもんじゃあないと思ってる私なんかは、ラストの千代子のモノローグ、あんたはそれで良いかもしれんけどさー、とつい思ってしまうわけなんでした。
作画は丁寧だし声優さんたちも良い仕事してはるし、こっそりいろんな映画のパロディ放り込んで見せたり、映画内映画の伏線も効いてるし、大変にクオリティの高い映画であるのは認めるんですが、そのオチで良いのかなあ、と思ってしまったのも確かなところではあったりする。ま、おおむね気に入ったのでおっけーですけどね。
個人的な大ウケ。夜行の急行列車が途中で急停車する、「前方で土砂崩れがー」………おいおい違うやろ、夜行が急停車するのはゴジラが接近したときでしょうが、とこっちにツッコミ入れさせといて、次のシークエンスでしれっと怪獣映画にずらしてみせるあたりの小技、心憎いものがあるよなあ(^^;)。
*1 たとえばですよ、いつの間にかお話で重要な位置にある「鍵の君」を、ヌケサクなことばっかりやってる立花にオーヴァラップさせてごらんなさいな、その結果、千代子の恋が成就しようとしまいと、オジサン泣いてるよきっと
「特捜戦隊デカレンジャー」、「仮面ライダーブレイド」、「ふたりはプリキュア」。
今週は「ブレイド」話。急に明るくなったダディヤナさんに違和感ありまくりなのはそれでもまあいいとして。「くらーいよ、せまーいよ」の睦月くんのモチベーション復活話とか、カリスの謎に迫るエピソードとか、いろいろ盛りだくさんなんだけどどーも調子でない、のは、私がオジサンだからなんですけど、仮面ライダー、というのは自らの意志とは別のところで異形の者になって(ならされて)しまったものの哀しみと怒りをバネに戦う戦士である、という意識が強いわけでしてな、平成ライダーが常に、そこに敬意を払ってないのが個人的に気に入らなくてしょうがないんだろうなあ、と思ってるわけでした。別に無理矢理改造人間にされちゃった、ってんじゃなくてもよいんだけど、ライダーになる、つー部分が毎回軽いよなあ、と思っちゃって。
久々にライダーものに登場した澄子サンが、実にスレンダーな魅力満点の女性だったことを知ったのは収穫だったんだけどね。
昨日リリースされてましたな。単なる1ユーザでしかありませんが、関係者のみなさん、いつもありがとうございます。ということで本日上書き。特に理由はない、こともなくはないけどRDF出力プラグインをoutput_rdf.rbからmakerss.rbに換えてみた。とりあえずこれでしばらく様子見。
実はこれmixi対策だったりする。output_rdfだとなぜかコメントがついたときだけmixi側がこちらの日記が更新された、と判断している様なのでした。んでmakerssにしてみたら、ちゃんと拾ってくれる様になったみたい。ふむ。
本日は黄門様のみ。ありゃ、山田邦子ってこんなに芝居ヘタだったっけ、って感じで。「攻殻機動隊」も終っちゃったし、ちょいと月曜のお楽しみが減っちゃったなあ。オレ、あんまり「子連れ狼」好きじゃないし。そういえばお昼の再放送も将軍様終っちゃったしなあ、って次も将軍様なのか。無印ってことは最後のシリーズだよね? うーん、あれはちょっとなあ、オレ、Ⅷが見たいんだけどなあ。いやね、結局鶴姫とはどうなったのか、見てないんでね。結末が見たくてしようがないんですよ。
ま、将軍様については以前にも紹介したけど暴れん坊将軍とともにというサイトが、特にそのテーマ曲にウエイトを起きつつ判りやすく解説してくださってるので興味のある方はそちらも参考に。URI変わってたのでリンク張り直しておきます。
あなたの無気力度は、87です。
あなたは稀に見る無気力な性格ですね。もう後戻りは不可能です。このまま無気力街道を突っ走りましょう!ちなみにあなたの性格を動物にたとえるとカバです。あんまり動きません。
あんまり動きません
………う、うん。仕事する気を絞り出すのが大変ですわ。こう蒸し暑いと。
ロバート・ホワイティング 著/松井みどり 訳
カバー Rodeo
角川文庫
ISBN4-04-247105-6 \705(税別)
話題作「東京アンダーワールド」に収まりきらなかった、アンダーワールドにうごめくアウトサイダーたちのエピソード集。終戦後のどさくさに紛れ一攫千金を目論むヤマ師、詐欺師、ペテン師、娼婦たちとその元締め、時に彼らと敵対し、また時には共闘する日本のヤクザ、右翼の怪人、大物政治家たち…。夜の闇よりもまだ昏い、戦後東京の戦後史。
というわけで前作、「東京アンダーワールド」の執筆のために集められた膨大な資料の中から、前作に収録しきれなかったエピソードを集めた一種の副読本。前作がニコラ・ザペッティという、悪党なのだがどこか憎めないところも併せ持った、それなりに巨大な人物として描かれていた(し、彼と関わる連中もまた大物揃いだった)のに対して、今回はどちらかというと巨大なアンダーワールドをチョロチョロと這い回るネズミ列伝、みたいな感じ。もちろん中にはかなり大きいのやら凶暴なのもちょっぴり混じっているんだけど。
そんな中興味深いのは、悪党共に混じって悪さのし放題のGIたちの行状記。だから米兵なんて昔からクズみたいな奴らばっかりなんだ、というのではなくて、厳格なキリスト教的社会で育った若者たちが、敗戦後の混乱した社会と、自分たちとはまったく異なる価値観や倫理で動く人間たちに出会ってしまったことが産む悲喜劇が、日本に対する無理解と、それを認識も、改めることもしなかった占領軍の首脳たちの無為無策ぶりによってさらに増幅されてしまった、というあたり、たとえば今の多国籍軍がイラクで遭遇している騒ぎにも共通するものがあるんじゃないかと思えたりして。
ついでにいうなら、なにか事件が起きたときのその後の反応のまずさ、という部分も、変わってないなあと言う気がする。これはもう、終戦直後のどさくさの時期に限らず、最近の「えひめ丸」の事件や沖縄でしばしば起きる事件なんかでも共通して感じること。組織のトップが自分が付き合っている相手の考え方や倫理観が自分たちのそれと大きく異なっているのだ、と理解できていない組織では、きっとこの手の軋轢は絶対に無くならないのだろうな、と思わざるを得ない。いうまでもなく、今米軍との軋轢で被害者として声高に抗議を仕掛ける日本人だって、立場が変われば(いくつかの事件における米軍と)同じ立場に立ってしまっているのだろうな、とも、同時に思うわけだけど。
今回は悪党だけじゃなく、一章を割いて「いいガイジン」列伝も用意されているのだけれど、やっぱり読んでて面白いのは悪党たちの行状記の方だよな。そんな中、上に書いたGIがらみのエピソードには少々複雑な気分を、外人たちと日本のヤクザとが絡むお話には少々薄ら寒いものを、同時に感じてしまう。やる気満々のペテン師列伝の方は、被害者の方にはちょっぴり気の毒だけれどもニヤニヤ笑って読んでいけるんだけど、実際に東京アンダーワールドで常に力を持ち続けているのは、外国の山師たちや日本の政財界のかなり深いところまで浸透しているヤクザたちなんだよね。そこは、怖い。
やっぱり東京にだけは住みたくねえな、と思う私。山口組のお膝元ならええのか、という話はひとまず置いといて(w 。
(★★★)
CS 日本映画専門チャンネルで「タオの月」。1997年松竹。監督雨宮慶太、出演永島敏行、阿部寛、吉野紗香、森山祐子、谷啓、榎木孝明、半田雅和。こいつは公開当時に劇場で観ているワケなんだけど、感想はまあ、初見の時と同じ。見所もあるが、やはり全体に漂う間延び感はどうしようもない感じ。フトモモフェチとしては吉野紗香のそれ、なかなかに見応えあるんですけどね。
夕方からちょっと焦って仕事しなくちゃいけない羽目になっちゃって、やや、ながら視聴なんだけど中村獅童主演の「丹下左膳」も見てみる。左膳といえば個人的にはやっぱり月形龍之介、板東妻三郎、大友柳太朗といった時代劇の大スターのイメージがあるんだけど、獅童ちゃん(とカミさんは呼ぶのよ)の左膳は、そうだな、今まで馴れていた時代劇の世界に「無用ノ介」とか「木枯らし紋次郎」がやってきたような感じを彷彿とさせてそこは悪くない。予告を見たときにはただのチンピラちゃうのん、と思えた獅童ちゃんの左膳が案外ええ感じやったのは収穫かも。
ただ、長いわな、これ。きっちり2時間枠のドラマに収めることは充分可能だったと思うんだけどな。15分長くしたばっかりに間延び感が強調され、オチがずいぶん弱いモノになっちゃった、ような気がする。それなりに獅童ちゃん好きなうちのカミさんも、「いくら獅童ちゃんが赤襦袢姿を見せてくれても、長いもんは長いもんねー」て言うてましたよ(^^;)。中村獅童には積みはない(ちうか隻腕、かつ基本的に野良犬の剣士の戦い方、ってのを意外と上手く見せてたと思う)けど、それ以外の役者さんたちがちょっとなあ、ってのが失点かな。戸田恵子の怪演はさすがだったんだけど、それ以外があまりにもダイコン揃いでとほほ。
特殊メイクに原口智生さんのお名前があったんで、個人的には微少ウケだったりしたわけですが。
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