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さっぱり判らんストーブリーグの展開な訳ですが。ヤルノがルノーのチーム体制に文句付けてるなあと思ってたら出てきた解雇説。これはルノーサイドが13日にしっかり否定。なのに15日には突然、ヤルノはもうルノーを辞めていた事が判明。なんだこれは?
さらに。んじゃヤルノの抜けた穴には誰が収まるのかな、と思っていたら、ジャックがルノーのテストに参加、なんて記事が。なんでジャック? さらにそのジャックはザウバーと2年契約を締結。契約の効力は今年11月からなので、残り3戦をルノーで走ることは問題ない、んだって。以上、ニュースソースは1-800-F1Newsさんから。
ええと。
まことにめまぐるしい展開ですが、まとめるならば、ヤルノの抜けた穴には残り3戦ジャックが収まり(あるいは収まる、かも)、今年のシーズン終了後、ジャックはザウバーへ。ヤルノはトヨタのテストに参加。残り3戦トヨタから出場する可能性は低いが来年はラルフと組んでトヨタのドライバー、ということになるのかな。
ついでに来年のシート状況も1-800-F1Newsさんでおさらいしておこう。これ以外でおそらく決定なのはタクのBAR残留、キミもそのままマクラーレン、てことになるんだろうと思う。タクの相棒は誰だろうね。私はデイヴィッドかなあと思ってますが、アンソニー昇格も無い話じゃあないだろうしなあ。
なんにしても今年は夏のさなかからストーブリーグが始まって、まだしばらく収まりそうにない感じですな。
さてこっちも訳わからんことになっておるなあ。楽天がプロ野球参入に名乗り(asahi.com)を上げたと思ったら、こんどはライブドア、仙台に新球団(asahi.com)、だって。うーん、堀江っちー、あなたは大阪近鉄を救おう、とか、そういう気持ちで名乗りを上げた訳じゃあなかったんだね。なーんだ、ちょっとあれだな、男気的にちょっとがっかりというか。
IT業界なんてのは一般的にはまだまだ認知度は低い業種で、ソフトバンクがグリーンスタジアムをヤフーBBスタジアム、と命名した事による波及効果って、案外バカにならんものがあったらしいけど、どうだろ、球団まで持っちゃったりしてペイできるのかね。やっぱりIT関連なんてまだまだバブリィな業種なんだ、ってのを天下に証明する結果にならなきゃいいけど。
フィリップ・ナイトリー 著/芳地昌三 訳
カバー写真 ©CORBIS/Corbis Japan
カバーデザイン 柴田淳デザイン室
中公文庫
ISBN4-12-204409-X \1286(税別)
各国の報道機関が初めて本格的にその内容を伝えることになったクリミア戦争、映像の力、電波による速報性に磨きのかかった第一次大戦、ラジオが本格的にその威力を発揮しはじめた第二次大戦、そしてテレビによって視聴者が居間に座ったまま、凄惨な戦闘を見ることができるようになったベトナム戦争まで、約120年間の戦争報道の中で戦争の当事者たちと戦争を伝えようとする者たちとの間にはどんな確執があったのか、そしてその結果、何が伝えられ、何が伝えられなかったのか、さらにはどのような、「無かったこと」が伝えられ、それを今の我々は事実であると誤認しているのか、を解き明かしていく大著。この分量でも日本語版では計4章が割愛されている。
さすがにお新聞やテレビで報道されることがすべて「事実」なのだ、などと言うことを簡単には信じない程度には私もスレては来ているのだけれども、それでもどういうんだろう、ロマンはロマンとして残しておきたいと思う部分もあるし、戦争というものは醜いものも崇高なものも、全てをごっちゃにしたるつぼであると思うわけで、たとえ「カタロニア賛歌」を前もって読んでいても、スペイン内乱には何かこう、ロマンチックなものを感じてしまうし、フランスがナチスに蹂躙されてからしばらくの間、ドーバー海峡と英国上空で行われた戦いにもまた、同じように今は残り少なくなったロマンを感じてしまう私なんだけど、本書の著者は容赦ない。ピカソが終生の大作をものしたゲルニカ空襲は無差別爆撃の走りだったわけではなく単に軍事目標を空爆しただけのものでしかなかったし、奇跡といわれたダンケルクの撤退作戦は、単にドイツ側にそれ以上の追撃戦を行う余力がなかった(というか、ヒトラーが大事な戦車をダンケルクの湿地に埋もれさせるのを躊躇した、ちゅう話は有名ですな)、などなど。
日本人である我々からすればあたりまえだけど、戦争中に確かに日本兵は捕虜や非戦闘員に対して残虐な行為を行ったけれども、それは別に日本兵だけに始まったことではなく、英米の兵士も同じであったことなどは、現地に取材するジャーナリストたちにとっては日常的に目にする物事であった。でもそれらの物事は決して母国で情報を待つ人々の元には届けられない。そこには戦争遂行者側から見た損得勘定に起因する検閲制度が存在するから。
戦争報道の歴史というのは、つまるところ報道と検閲者の戦いの歴史な訳で、一方で国益を最優先に戦争遂行の障害となる報道を極力フィルタリングしようとする勢力があり、もう一方で混じりけのない事実を報道しようとするジャーナリストたちの苦闘がある、というのがまあ、大雑把な図式。ただ、ジャーナリストだって人間なので、完全に公正中立ではいられないのも確かで、これがおのおのの戦争の性質と絡んで、ジャーナリストたちの身の振りようにも微妙に影響を与えているのは面白いところ。これが顕著なのがスペイン内乱とベトナム戦争かも知れない。
スペイン内乱が特殊なのは、ここに中立な人物がほとんどいなかった、ということだろうな。フランコ側に付くものは共和主義者たちを共産主義者と決めつけ、やることなすことを悪事と書き立てる。一方反乱側で取材を続ける人々は自らが立っている側をファシズムに対抗する、理想主義の人々と捉えてその良い面しか書かない。いろんな意味でロマンの権化みたいなヘミングウェイがこの戦争で、国際旅団側の特派員として活躍していたのは有名な話だが、ナイトリーの筆はジャーナリストとしてのヘミングウェイの資質についても容赦なく切り捨てる。なんというか、あれだな、理想ばかりが先に立ち、やることは素人な学生運動の末路を数段悲惨にしたものがスペイン内乱の真実だった、ということなのだろう。でも、事実はそうでも、そう簡単に人の心に染みついたスペイン内乱のロマンティックな部分は消えない。
アメリカはベトナム戦争の教訓から、湾岸戦争、イラク侵攻では徹底した報道管制を敷いたわけだけど、じゃあそのベトナム戦争では、ジャーナリストたちはそもそも戦争に反対する立場であったのかというと必ずしもそうではなく、基本的に彼らも、アメリカの勝利を希望して戦場報道を行っていた、というのは少し驚いた。最終的にアメリカが勝利を収めることを希望し、そのために問題であると思えるところを指摘することが結果的に戦争遂行者側との軋轢を生んでしまった、ってあたりの過程は大変興味深い。
戦争報道ってのは難しくて、たとえば完全に事実を包み隠さず報道することが、かえって自国の利益を損なう可能性もあり、さらに面倒なのはその、自国の利益を損なうかも知れないことが、最終的に自国にとっていいことなのか悪いことなのかは、後になってみないとわからない、というあたりにありそうな気がする。例えば今(ここからは乱暴な例えですよ)、マイケル・ムーアの映画に喝采し、イラクで何が起こっているのかを正確に伝えるべきだ、というのは簡単だ。だが、それが引き金になってアメリカの国益を損ない、ひいてはアメリカの発言力を大きく落としてしまった時に、アメリカのみならず全世界規模で、今以上にそれが世情の安定に繋がるのか、まで考えた時に報道が出来ることと報道がすべき事、あるいは報道がすべきではないこと、の線引きは誰がどんな基準で行うのか? 残念ながらナイトリーはここをややきれい事で済ましてしまっている気がする。今の日本のヘタれたきれい事しか言わないジャーナリストよりはマシだが、それでもやっぱり、答えはない*1。そこはちょっと残念かな。ジャーナリズムの負け戦の総括、という部分を追っていく価値はある。でも、それじゃジャーナリズムが(輝かしい)勝利を得る時ってのはどういう時なのよ、と。
事実を報道すべきだ! といって譲らない東宝特撮報道陣(主に宝田明)のほほえましい理想主義を私は愛するが、現実はもう少し世知辛いものな訳で、その世知辛い世の中で、ジャーナリズムは、ジャーナリストは何を伝え、何を伝えないでおくべきか。外れでもいいから叩き台として、そこに何らかの結論が欲しかったように思う。
(★★★)
*1 自分の作品は基本的にエンターティンメントである、と言ってるマイケル・ムーアって、ある意味正気を保った人間なのかも知れないな、とは思ったです。
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